「今日この頃」2012年1−3月分のバックナンバーです                     トップページへ


3月31日「生きているから」

 県立文学館職員お薦めの「星野富弘花の詩画展」を鑑賞してきました。
 中学校の教諭の時に、クラブ活動の指導中頸髄を損傷、手足の自由を失い、入院中に、口に筆をくわえて文や絵を書き始めた星野富弘氏の作品は、観るものの気持ちを励ましたり、和ましたり、感動させたりする素晴らしい作品であることを実感できました。今日が最終日です。まだの方は、是非、花と詩と生の世界に浸って下さい。
  痛みを感じるのは 生きているから
  悩みがあるのは 生きているから
  傷つくのは 生きているから
  私は今 かなり生きているぞ

 今日エンディングとなる 「志国高知龍馬ふるさと博」のクロージング・イベントの一貫として、あのプロレスリングマスター「武藤敬司」選手が、握手会に訪れるという、プロレスファンの私にとっての一大事に後ろ髪を引かれながら、高知大学で開催される映画「チェルノブイリ・ハート」の上映会と木下黄太氏の講演会に出向きます。
 今、私の中でどちらが優先するかと聞かれれば、迷いのない選択です。みなさんも、「映画×講演会」に、是非、お越し下さいと声をかけたいところですが、前売り券販売と予約でほぼ、満席とのことです。それでも、当日用の席も用意されるとのことです。
 そして、急遽決定しましたが、一週間後の4月8日(日)13〜16時には、会場も同じ高知大学図書館棟6階メディアホールであの「広瀬隆さん」の講演会があります。こちらも、よろしく。

3月30日「長期浸水対策に難題山積」

 昨日の南海地震長期浸水対策会議に「長期浸水対策のとりまとめ」が報告されました。浸水範囲約2800f、浸水予想地域に住む13万人が、一ヶ月以上浸水状態にあり、浸水区域内の避難ビルなどに取り残された人は、そこから自主的に歩いて避難できない想定となっていることなどを前提に、止水対策、排水対策、住民避難対策、救助・救出対策、燃料対策ワーキンググループで検討された内容でした。膨大な内容と量ですので、ご報告できませんが資料にリンクを貼っておきますので、こちらからご覧下さい(内容が多くて重たいのでPDFファイルにつながるまで、少しお待ちください。)。
 中でも、止水・排水対策の優先地区については、関心のあるところです。なんせ、そのど真ん中に住んでいる私たちですので。
 浸水した地域の復旧活動をいち早く進めるため市内を6つの地域に分けて優先的に作業に取りかかる地域を事前に決めておく必要があるとして、中でも、対策優先エリアが、江の口・下知エリアと高須エリアに設定されました。長期浸水地区を均一に排水対策に取りかかった場合、最大2ヶ月程度かかるのが、このエリアで優先的に復旧作業に取りかかると排水を完了する期間が、それぞれ11日と22日に短縮できると試算しています。
 前提として、30d/分処理能力の20台の排水ポンプ車が24時間稼働するとしてとなっています。これが、台数が多く確保できればできるだけ、時間は短縮できるし、処理能力の高い排水機場が機能すれば、さらに短縮されるなど、いかにして排水機能を事前に確保しておくかということになります。
 さらに、その前提として、排水ポンプ車を搬入させるための道路啓開や満潮時に浸水しないための防潮堤の確保などが必要であるということを考えれば、課題は山積しています。
 新年度は、これに加えて医療、衛生、廃棄物対策ワーキングが加わって議論されていきます。しかし、今回の報告を見て感じたのは、議会でも求めてきましたが、これらの内容が都度都度に公になっていれば、確定情報でなくても、地域での備えの議論の前提として随分役に立っていたのではないかと思います。今後、県民の意見の反映は、どの時点で行われるのか、それによってこの対策がどれだけ効果あるものになるのか問われるのではと思いました。
 今夜は、2月初旬に取材されて、放送が先送りになっていた我がマンション自主防災会が、午後10時放送NHK「高知あすを問う」に登場するかもしれません。

3月29日「感情論だけでは受け入れられない」

 昨日、高知市で開催された「東日本大震災により生じた災害廃棄物の処理に関する特別措置法第6条第1項に基づく広域的な協力の要請に係る説明会」(何とまあ長く分かりにくい名称でしょう)は、何か異様な雰囲気の説明会だったように感じました。
 当事者の皆さんの気持ちや思いを聴いたわけではないですが、「やりたくてやっているんじゃない」「聞きたくて聞きに来たんじゃない」という風な、そして、「言いたくても言えない」「聞きたくても聞けない」雰囲気の質疑応答の時間、そんな感じで受け止めました。そんな雰囲気を作りだしているのが、この震災瓦礫の広域処理の問題なのかもしれません。
 出席していた25市町村、7一部事務組合の担当者44名の中で、唯一発言した安芸広域市町村圏事務組合の担当者の「心情的には受け入れたい。しかし、処理能力や焼却灰の処理のことや風評被害や住民の生活のことを考えたら感情論だけでは受け入れられない。」という発言が、そんな雰囲気の44人の気持ちを代弁していたのかもしれません。
 説明に立った中四国地方環境事務所長は、今まで明らかにしていることをのらりくらりと説明するだけで、「放射性セシウムが8000Bq/kgを超えた場合はと聞かれるが、前提として超えることはない」「安全性の担保をと言われても、できるとしか言いようはない。」「焼却灰の他市町村での処理は、できないとは言えないが、調整は簡単にできるものではない」と曖昧な見解を示すだけで、出席した職員の方の無力感を増幅させただけかもしれません。このような説明会を繰り返して頂ければ、広域処理の矛盾がよけい明らかになっていくのかもしれません。
 県としての姿勢は、知事も記者会見の中で答えていたが、環境対策課長も「受け入れを実現するためには、安全性や処理能力など乗り越えなければならない課題やふまなければならない手順も多く、市町村の課題のクリアーが前提」ということを示していました。間に、土日をはさんで、一週間で結論をと言われた市町村がどんな結論を出すのか注視したいと思います。
 ところで先日、徳島県の見解をお知らせしましたが、ここに明快な札幌市長の見解も示しておきますので、こちらからご覧になって下さい。

3月28日「県庁耐震化工事」

 昨日は、県庁耐震化工事が3年かがりで完了したことが報じられていました。免震装置84基を埋め込んだことで、地震の際に伝わる揺れを少なくし震度6強から7の揺れにも耐えられるということです。それにしても、あの騒音の中で、仕事を継続された職員の皆さんに敬意を表します。随分とストレスが溜まった方もいらっしゃったのではないかと案じるばかりです。
 しかし、新年度には、議会棟との間の渡り廊下の工事が残っていますので、まだ、万全とは言えない状況です。さらに、新年度からは、危機管理部の職員が宿日直体制で24時間対応できる体制もスタートするだけに、防災への体制は確実に強化されようとしています。危機管理部の皆さんをはじめ、職員の皆さんには、ご負担をかけることになると思いますが、くれぐれも健康にも留意されてよろしくお願いします。
 ところで、これまでにも震災瓦礫の広域処理の課題について、機会ある毎に情報発信してきましたが、今日「災害廃棄物処理特措法に基づく広域的な協力の要請に係る説明会」が市町村担当職員に対して開催されますので、どのような協力要請の仕方になるのか傍聴に行ってみたいと思います。
 ネット上に、ドイツZDFテレビの「フクシマのうそ」という番組がアップされていますので、是非、こちらからご覧になって頂ければと思います。

3月27日「5月5日こどもの日は原発停止記念日」

 25日深夜、東京電力の柏崎刈羽原発6号機が、定期検査のため発電を停止し、東電の原発17基が全てストップしました。これで稼働中の原発は、国内54基のうち北海道電力泊原発3号機の1基だけとなりました。そして、この泊原発3号機も5月5日から定期検査のため停止することが明らかにされています。
 5月5日子どもの日に国内すべての原発が停止するというのは、偶然とはいえ、将来の子どもたちのためを思っての記念すべき日だと思っています。こうなれば、あとは再稼働を許さないための闘いに全力をあげつつ、再生可能エネルギーへと転換させる取り組みに力を注いでいきたいものです。
 最近、震災瓦礫の広域処理に反対し、放射線拡散を許さない声がいろいろと届けられます。先日も高知県出身で関東在住の方からメールが来ました。いろんな提言を頂きながら、メールは「 関東では、高知産の野菜はブランドもの或いは宝物のように目に映ります。スーパーで高知産の文字を見かける時のほっとする気持ちといったらありません。高知の物産専門店も知っています(アンテナショップではなく)。こうした高知県産をはじめとした西日本の安全安心な食べ物は、いまやその土地にとってだけではなく、日本にとっての貴重な宝だと感じます。一つ一つの自治体が自らを大切にする・・・その事の積み重ねでしか日本全体は二度と美しく蘇らないと思います。被災地への支援は、がれき引き受け以外にも方法はあるのではないでしょうか。そしてそれを国に発案・提案できるのは、自治体をおいて他には無いのではないでしょうか。」という言葉で結ばれていました。

3月26日「胸のつかえ」

 2年前の県議会の質問で取り上げてから、毎年触れさせて頂いてます母校高知学芸高校の上海列車事故の24回目の慰霊式が、24日に行われました。
 当時の遺族会の皆さんをはじめとした方達と学校側との話し合いでも、事故報告書の内容や現地での慰霊式が開催できなかったことなど、隔たりの大きさは埋まることがない状況に残念ながら代わりなかったようです。
 しかしながら、高知新聞や朝日新聞には、「毎年、この日は特別な日。事故から24年。風化させないよう、同級生で何かできないかと話し合っている。いずれ形にしたい。」と同級生のコメントがのっていましたので、彼らの力が、学校側の姿勢を真摯に遺族と向き合わせる力につながればと思ったところです。
 毎年写真のように桜のつぼみが膨らむ頃に、考えさせられる胸のつかえです。





3月25日「お金の使い方」

 「グリーン市民ネットワーク高知」のメールで、ある方が高知のある金融機関が、関西電力の第9位、東北電力の第5位、九州電力の第10位、中国電力の第10位の大株主であることが情報提供されています。企業価値検索サービスulletで検索されると具体的に分かりますので確認してみて下さい。しかも、こちらの金融機関は、昨年3月期の預金残高は5293億円、貸出金残高は757億円、経常収益は622億円となっており、このことからも、地元県民の預金の多くを地元以外の電力会社の株保有の資金に回しているのではと、思われます。ちなみにこの4電力会社の株保有評価額の合計は576億円となります。
 地元に関係のない大企業、しかも原発を推進しているような電力会社の大株主でいるよりも、県内で厳しい経営状況にある中小企業への貸出しやこれから高知が力を入れようとしている再生可能エネルギー産業への支援に回って頂きたいものです。
 しかし、えらそうに言えないのが高知県で、四国電力の第5位の大株主として623万株保有しています。しかも、株保有評価額は08年と比較して昨年度末では33億円損失しています。県民の財産であることを考えれば、これ以上損失額を増やさないために手を引くか、大株主として原発再稼働反対の意志を明確にし、再生可能エネルギーへの転換を推し進めることを求めていくことを明確にすべきではないでしょうか。
 「伊方原発運転差止訴訟」の第1次原告に加えて、第2次訴訟の原告を加えて、600名を超える原告団となりました。来週28日訴状の提出ならびに原告・報告集会が開催される運びとなっており、この闘いの前進が、全国の脱原発運動の励みにもなることと思います。

3月24日「私の災害、あなたの災害」

 昨夜、自主防災会の立ち上げ準備中の近隣のマンションで、マンション自主防災会の立ち上げから、取り組みの現状などについて、お話しする機会がありました。
 先月も、別の近隣マンションで同様の機会がありましたが、マンションに自主防災会をという機運が高まっているように思います。そんな中で、新しいマンションほどコミュニティーの構築から始まることも含め、人付き合いの大切さこそが「自主防災会」のキーポイントであることを改めて感じたところです。私たちのマンションは、出来てから18年目に、自主防災会を設立し、それから早6年、その中で、築いてきた人と人との繋がりが、自主防災会を動かしているのだなと痛感しました。(写真はマンション防災会の訓練風景)
 県内の自治体の半数近くでは、来月1日までに「自主防災組織」の組織率が100%になる見通しであるものの、依然、結成率が低い高知市など都市部の組織作りが課題になっていることが報じられています。高知県のまとめでわかりました。住民が自主的に防災活動に取り組む「自主防災組織」は、次の南海地震や津波から地域を守るために不可欠で、県内でもすべての地域で早急な組織の立ち上げが求められています。4月1日までに、27の市町村では結成率が80パーセント以上に達する見込みだが、高知市などでは依然として結成率が60パーセント程度にとどまっていて、都市部を中心とした組織化が課題だと言われています。
 そんな都市部で、マンション自主防災会や昭和校区市民防災プロジェクトに関わる中で、課題を克服するためには、人と人との繋がりを大切にしながら、「『私の災害、あなたの災害』という風に『災害を人称化』することが防災を人ごとではなく、自分のこととする上で大変重要なのである」(「関西学院同窓会高知支部会報第12号」関西学院大学災害復興制度研究所・山中茂樹教授寄稿文より)と自覚するところから始まるのではないかと思っています。

3月23日「被災地を支援し続ける」

 甲子園で被災地の復興の星達が輝きました。石巻工業主将の選手宣誓と、最後は5対9で強豪・神村学園に敗れたが、諦めない闘いは被災地に「あきらめない街・石巻!! その力に俺たちはなる!!」というメッセージを確実に伝えることができたと思います。
 昨年の3.11以後、なでしこジャパンのワールドカップ優勝などをはじめ、さまざまなスポーツやアーティストの力は、大きなものを感じます。私の好きなプロレスだって、ALL TOGETHERという団体の枠を超えた大会を東京だけでなく、仙台でも開催してきました。
 いろんな力が被災地を励まし、支援し続ける気持ちと行動が具体的になっていいるが、政治だけはそのメッセージを発信できていないのではないかと不甲斐なさを感じます。





3月22日「エコ産業」

 本年度の「第11回高知エコ産業大賞」に技研製作所の地下駐輪場「エコサイクル」が選ばれたとの報道がありました。
 この賞は、高知エコデザイン協議会が、県内で環境負荷の低減に配慮した活動やサービス、および製品を表彰することで、その情報を高知県民に広く伝えるとともに、それらの供給者である組織等の取組みを支援し、高知県におけるエコ産業・エコ活動のさらなる発展・普及を図ることを目的としたものです。
 今回受賞した「エコサイクル」は、地下空間を有効利用する点や自転車利用を促進する点が評価されたそうですが。昨年、東京三鷹市に自転車安全走行の調査に行った際に、見学させて頂いた駐輪場の取り組みとして、導入されていました。まさに、地産外商の先駆的な製品と言えますが、県内でもこれから自転車の利活用と駐輪場のあり方というのはセットで考えられる必要があると思います。今日も自転車ネタになってしまいました。
 また、 新年度から本格的に取り組まれる防災産業の振興についても、県内で50社ほどの企業がすでに取り扱っていますので、ここから大きく育っていくことを期待したいものです。




3月21日「少しだけゆっくり、ルールを守って」

 「交通死亡事故多発全県警報」が発せられている中での、早朝交通安全街頭指導を終えました。50分の間に、何度かヒヤッとする場面がありました。
 自動車も自転車も歩行者もそれぞれに一部の人ではあるのですが、ルールが守られていないことが、残念でなりません。いつ加害者になるか被害者になるか分かりません。年度末の慌ただしい時期です、お互いが譲り合い気をつけあいたいと思います。発令期間は明日までですが、以降も十分気をつけて下さい。
 私の愛車の自転車は昨年新車に変えてからほぼ一年、走行距離は約2800qにのぼります。昨年4月の選挙期間中には、私が乗ったまま1.5bほとの深さの水路に転落し、購入間もない時期に、傷つけてしまうなどのハプニングもありましたが、重たい私を乗せてよく耐えてくれました。新しい年度もよろしくお願いします。




3月20日「やっぱり『震災瓦礫広域処理』はだめ」

 高知市議会でも、瓦礫処理受け入れ表明を求める決議案が提出されたが、不一致となって取り下げられたとのことだが、いよいよここまで迫られはじめたのかという感じがします。
 この圧力は、今後もさまざまに強まるかと思います。私の考え方は、3月15日付で述べていますが、極めて明確な考え方がメールで送られてきましたのでご紹介します。
時々情報としてお知らせしています「たんぽぽ舎」からのメール情報にあくまでも個人的考え方と言うことで、「たんぽぽ舎」副代表で「劣化ウラン研究会」代表の山崎久隆さんの見解がありましたので、参考にして頂きたく、少し長いですが、ここに掲載することとしました。

 原則その1 「放射性物質で汚染されたものを拡散・移動してはならない」
 放射性物質は国の法律にも規定されるとおり、拡散させないこと、飛散させないことが基本です。これに従えば、瓦礫に付着したセシウム等の放射性物質も現時点で存在する地点から別の地点に移動をするべきでは無いと考えております。
 さて、実は問題はここから始まっています。
 東京都は「女川町から運ぶ瓦礫の汚染濃度は100ベクレル/キログラム(Bq/kg)以下」としております。これは「クリアランス・レベルを下回るもの」とされております。
 原子炉等規制法では、100Bq/kg以下はそもそも放射性廃棄物扱いをしなくて良いとされています。つまり、放射性廃棄物では無いという事になります。そのため、法的規制は掛からず、いわば「どうしようと行政の勝手」になり、そのため説明会は開かれていますが都内の清掃工場に次々に運ばれて焼却が始まってしまいました。
 そこで次の原則になります。
 原則2「核のゴミは燃やすな」
 広域処分の一番間違っているところは焼却することです。燃やせば必ずセシウムは環境中に出ます。焼却灰や飛灰にも残ります。これを安全に処理できるような施設はありません。なぜならば、これら全て一般の焼却工場でやることになるからです。放射性廃棄物の焼却処分を行う専用施設でもないし、核のゴミを密封するための固化、安定化処理設備が併設しているわけでも無いのです。
 清掃工場から大気中に出るセシウムはおそらく関東や東京では検出が出来ないでしょう。なぜならば、東京などは周辺環境がすでに3.11以前の倍から数百倍に汚染されてしまっているため、セシウムを検出しても直接福島から来たのか瓦礫由来なのか区別が付かないからです。区別が付かなければ問題が無いなどと言うのはもはや放射線防護の知識の無い素人考えです。放射性物質の規制は「実行可能な限り低く」無ければならないところ、既に福島からのセシウムで優に年間1mSvの実効線量を超えてしまったところが沢山あります。もはや1Bq/kgたりとも多く拡散させることなど許されません。ところが瓦礫を燃やしてしまうと、核のゴミは大気中に拡散すると共に焼却灰中に濃縮しますので、公衆被曝と清掃等労働者への被曝と、時間をおいて処分場からの流出による被曝を引き起こすことになるでしょう。ゼロになど出来ない以上、追加放出される放射性物質は、その分健康影響を「どこかの誰か」には与えるものと考えざるを得ません。
 さらに、高性能の焼却施設ならばある程度はセシウムを出さないようにすることも出来ますが、特に地方にある性能の低い工場では周辺に拡散する量も増えてしまうでしょう。これを少量の試験燃焼で調べても見分けることは出来ません。
 原則3「拡散させるな、内部被曝は遙かに危険」
 核のゴミが固定されていて、そこからのガンマ線照射だけが問題であれば、対処は難しくありません。現に、原発内にはそのようなゴミが何万トンと積み上げられて今も保管されています。大学の研究室にもそのような保管設備はあります。病院にも、工場にも、日本中至る所に保管されています。
 しかしこれらは決して清掃工場で燃やされません。そのようなことをしてはならないと決められています。医療用に摂取した人はその糞尿もトイレに流してはならず、燃えないゴミにして出すように指導されます。そうしていない現実があるとしても、原理原則を行政が勝手に曲げて良いわけがありません。
 ところが瓦礫セシウムだけは燃やせと言われています。せめて燃やさずにセメント固化して安定した場所に保管すれば、拡散して口に入ることは防げるのにと思います。内部被曝を過小評価している日本の行政は、こういうところでも原則を踏み外しています。
 そういっても、背に腹は代えられないと思う人については、せめてこういうことは言えるのではないでしょうか。
 原則4「受益者負担の原則を忘れるな」
 今回の東電福島原発事故により被災した東北地方の人たちには、セシウムを引き受けなければならないいわれなど無いとするならば、セシウムは東京など東電管内において管理すべきだと。例えば大阪、例えば四国、例えば九州になど持っていくのはまかり成らぬ。
 東電管内において安定化処理したセシウムを、東電の敷地や国有地で、周辺に住民が住んでいないような地域を選んで積み重ねるとするならば、その考え方にまで反対はできないかもしれません。しかし九州だの北海道だの、せっかく放射性物質で汚染されていないところにわざわざ持って行って汚染するなど、愚の骨頂です。
 まずそんなことをしたら、諸外国が未だに続けている「日本からの農産物輸入規制」は半永久的に解除されなくなるのでは無いですか。例え風評被害だと非難をしても、輸出先で売れ無ければ同じ事です。
 日本中にわざわざ放射能を拡散させる利益などあるわけがなく、全く理解できません。
 私見ですが、愛知、岐阜、富山を含む西日本はほとんど汚染が見られないかあっても桁違いに低いので、いわば「サンクチュアリ」として残すべきです。そうでないと、福島の子どもたちに「汚染されていない食料を」と言っても、日本中が汚染されてしまったらもはや届ける食料が無くなります。
 西日本の人たちは、是非「受益者負担の原則で東京で処理せよ」と主張して下さい。東京の土は、東部で7000Bq/kg程度、新宿でも700Bq/kg程度。つまり東京ですでに100Bq/kgを遙かに超えてしまっている。これが現実です。
 原則5「低線量被曝の影響は未知数だ」
 まとめて言えば、今までの経験で「取り返しの付かないことは止めておこう」ということにつきます。特に大気拡散させてしまえば口に入り、内部被曝を引き起こします。さらに呼吸とともに入る場合は、気道から肺にと流れます。内部被曝でも最も始末に負えない呼吸器系への吸入です。これはなかなか取れません。消化器系ならば10〜70日(年齢による)で半分になります(半分は排泄されます)が、呼吸器系では残留してしまうとそのままそこで放射線を出し続けます。
 さらに体内に入るセシウムは内部被曝を引き起こしますが、この場合は相当低いから安全と言われますが、それは間違っています。チェルノブイリ原発事故の後の疫学調査でも、ウクライナ、スウェーデンでは内部被曝の影響と考えられる疾患の増加が報告されています。その時の被曝量は相当低いものが多く、今回の瓦礫焼却により大気放出される程度のセシウムであっても、影響が無いと言い切れません。そして、最後に付け加えます。
 原則その6「クリアランスレベルの規制は間違いだ」
 例え100Bq/kg以下であっても、セシウムに汚染されている以上、核のゴミ扱いすべき性質のものです。3.11以前の土壌環境値はどんなに高くても1Bq/kgよりも遙かに少ないと思いますから(正確な3.11前の実測データが無いので、とりあえず九州南部の熊本市の値0.378Bq/kgを参考値として考えます)これを超える、つまり1Bq/kgであってもこれはれっきとした「核のゴミ」であると思うからです。
 クリアランスレベルの導入には、これが核のゴミ拡散法だとして、以前から「断固反対」してきた立場からも、東電福島原発事故が起きたからといって未来の世代のためにも以前の原則を簡単に曲げるわけにはいきません。
 原発事故で降り積もったと断定できる汚染をクリアランスレベル以下だから核のゴミ扱いにしないとする考え方は容認できません。
 ただし、100Bq/kg以下は原子炉等規制法により核のゴミ扱いしないと決めて、2005年には残念ながら法改定されてしまっていますから、行政に同じ立場に立てというのは難しいでしょう。あくまでも原発に反対し続けてきた市民の立場から認められないと主張することになります。
 さて、ではどうしてもダメと突っ張り続けるのはどうしてかという事になります。
 せめて汚染値の少ない、数十ベクレルとかならば、安全を確保して広域処分をしても良いではないか。マスコミも徹底的に勉強不足ですから、このような論理に簡単にはまっています。いまや全マスコミが(東京新聞までが)瓦礫広域処分を急げとの論調です。言いたくは無いが、反対すれば「非国民」扱いなわけです。
 ではどうしたら良いのか。
 そもそも広域焼却処分が進まないから現地の復興が進まないなどと言うのはどう見てもおかしな理屈です。敢えて言えば「言いがかり」です。
 瓦礫の全量は約2000万トン以上、それに対して広域処分は400万トン程度、約2割です。2割の処理が進まないから瓦礫の山がそのまま、なわけがありません。8割のほうも処理は進んでいません。それから、もともと燃やせるものはそう多くはありません。ダイオキシンやPCBや重金属など、他の有害物を考えれば、焼却できないものが沢山あります。車のスクラップなど、もともと燃やせるはずがありません。ところがこれらが山積みになった絵を見せられて「広域処分は必要だ」などと放送されています。すり替えの論理です。
 瓦礫が大量発生するなど、3.11当日から分かっていたことです。その対策はそんなに奇抜なものなどないのはわかりきったことです。大きくは二つ。埋立か埋設か。
 海や沼地などを埋め立てる方法は、東京大空襲などの戦後処理で盛んに行われています。東京の高速道路の下など、たいていは元運河か掘りで、戦後瓦礫の埋め立て地になっていました。その上に高速が走っていたりします。
 しかし今頃海を大量に埋めるなど環境破壊以外の何物でも無いので不可能です。
 であれば、もう方法は一つ。計画的な埋設です。
 海岸線の土地については、特に津波被害の大きかった地区については防災用地として国が買い上げ、その場所に瓦礫をセメント固化した構造物を作り、その上を盛り土し、鉄道用地や道路用地にするというアイディアが、とっくに自治体や専門家などから出されていました。
 4月か5月にもそういう方針を地元と協議して決めて、すぐに作業に着手していれば今頃は相当程度進んでいたはずです。その遅れの責任を「瓦礫広域焼却処分」に押しつけるなど、到底容認できるわけがありません。いまからでも、そのような方法に着手すべきです。
 まず瓦礫を焼却するのであれば、その施設は地元に作り、原発にあるような放射性廃棄物を処理する能力を持つ設備を作り、ここから出るセシウムはセメント固化して東電に返すことです。
 さらに福島県内など高い汚染の瓦礫は、そのままセメント固化して原発内部の防潮堤などの基礎材に使うことです。
 こういう原理原則を実行してもなお、広域処分をせざるを得ないのならば、東電管内で焼却では無くセメント固化などの安定化処理をすべきと考えます。
3月19日「集まる毎に高まる防災意識」

 土日の間には、第1回やえもん地区防災フェアに加えて、昭和小校区市民防災プロジェクトの事務局会議、マンション耐震補強検討委員会をこなし、議会が終わったとたんに地域の取り組みが目白押しです。
 市民防災プロジェクトも新年度の取り組みとして、今までの取り組みからさらに一歩前へ出ることとして、津波避難ビル要請行動を検討することとしました。
 そして、私の住むマンションでは、耐震性は確保されているのですが、24年前段階では想定されていなかった扉の耐震扉への交換やエキスパンションジョイントの補強などを急ぐことなどを耐震補強検討委員会で検討しています。しかし、こちらは相当に費用のかかるもので、大規模修繕計画などとあわせて考えると資金調達計画が頭痛の種です。
 これらの三つの取り組みを通して感じるのは、みなさんの防災目線で見つめる意識は確実にあがっているということです。そのことは、あわせて支え合いの仕組み作りにもつながっていくと感じています。



3月18日「脱原発いかに早めるべきか」

 昨日は、午後から所属しているエコデザイン地方議員連盟などの主催で開催した「環境、エネルギー問題として原子力を考える勉強会」に参加してきました。講師の自民党エネルギー政策議連の河野太郎共同代表概要が高知新聞の記事にもになっていますが、その見出しは「脱原発は2050年めど」とあるが、40年廃炉で行った場合の一番遅い脱原発工程であると断っていますので、あれほど核燃サイクルの破綻を指摘し、それなりの節電で今夏も乗り越えられると言い、原子力ムラの構造をつくってきた政党責任を感じている河野氏なら、一刻も早い脱原発を願っておられることでしょう。
 話の中で、テレビ朝日が原発番組の特集が一部報道されていないことを紹介していたが、報道ステーションの古舘キャスターは「私は、日本には原子力村という村が存在し、産業がない地域が積極的に原発を誘致したという根本を日々の報道ステーションの中でそれを追及していく。もし圧力がかかって番組をきられてもそれは本望です」などと語ったことが、物議を醸しています。それほど根深い構造が横たわっている原子力発電から脱却することがなぜできないのか。福島の被災地と向き合いながら考えてみなければなりません。
 しかし、自民党のみなさんはそういう事実を知ってか知らずか、議会委員会で「伊方原発の再稼働を許さない意見書」には「気持ちは分かるが、10年15年と時間をかけて議論をすればよい」と言われるのですから、開いた口が塞がりません。昨日の話を聴いてどのように思われているのか、再度委員会審議をしてみたいものです。

3月17日「閉会後も慌ただしく」

 昨日、議会閉会後は、会議の挨拶のため市内や須崎市へと出向き慌ただしく一日を終えて、今朝は「第1回やえもん地区防災フェア」に参加してきました。この防災フェアは「やえもん地区まちづくり委員会」の主催で、やえもん地区の皆さんが地域の津波避難ビルであるJAビルに避難して、各自が自宅から避難に要した時間を届け出たり、非常食の試食や家具転倒防止グッズの展示があったり、さらには、工科大学の甲斐教授と大谷教授の講演を参加した150人以上の皆さんが熱心に聞き入っておられました。しかし、4階までの階段は、高齢者の方には厳しいものがあり、今後は、そのような方をみんながどのように支えながら、あがっていくのかなどの工夫もされると良いのではないでしょうか。
 いずれにしても、初めての訓練で、これだけの方々が参加されたということは、地域の皆さんの関心の高さを示していると言えます。主催者代表が挨拶されたように、この地区での津波避難ビルの指定は分譲マンションの協力が得られるかどうかにかかってきます。

3月16日「いよいよ閉会日です」

 2月定例会の閉会日を迎えました。一昨日にも、書きましたが、いくつかの議案審議で納得できないものもありますが、いよいよ採決に臨まなければなりません。私なりに、県民の皆さんがどのように考えられているのか、私に寄せられてご意見などに、しっかりと思いを馳せながら臨みたいと思います。
 昨日震災瓦礫の広域処理について書きましたが、今朝の朝日新聞13面「耕論  がれき拒む社会」の特集があります。議論の材料になろうかと思います。また、徳島県の見解は、県民からのご意見に明確に答えられており分かりやすいかと思われますので、参考にして頂ければ思います。

3月15日「『震災瓦礫広域処理』の強制はだめ」

 いよいよ震災がれきの広域処理が、国家総動員的に強行されようとしています。まるで、「受け入れ協力」をしない自治体が「悪」かのようなキャンペーンにつながるのではないかと心配します。(写真は2月5日時点の石巻市の沿岸部の瓦礫仮置き場の状況)
 しかし、その広域処理のあり方にはいろんな疑問が出されていますし、全国の自治体にとっては慎重にならざるを得ないのです。
 岩手、宮城、福島の3県で発生したがれきは計2252万8000トンで、阪神・淡路大震災の瓦礫量の1.5倍であるということが言われたりしますが、そのベースとなる阪神・淡路大震災の瓦礫は倒壊家屋解体処理分だけで、本来比較すべきものを含めると2000万トンとなり、1.12倍で、被災面積あたりで比較すると、今回の瓦礫量が相対的に少ないということになるのです。 しかも広域処理分は20%程度であることからも、被災自治体では、瓦礫処理を地元自治体で行うことが地元雇用にも寄与するということを主張される自治体もあり、必ずしも広域処理が進まないことが復興の遅れにつながっているとは言えないとの声もあります。
 また、広域処理の妥当性について、環境・安全面、経済的、社会的観点からも疑問が呈されています。
 環境・安全面では、サンプル調査の精度の問題や焼却灰の埋め立て処分のあり方が懸念されるし、経済的妥当性としては、放射性レベルが低く安全であるのならば、がれき処理専用の仮設焼却炉を現地に作って処理するのが最も効率的であり、社会的側面からは、広域処理を巡って、被災地と被災地以外で対立構図を構築した国の責任は大きいと言わざるをえません。
 さらに、環境省の有識者会議「災害廃棄物安全評価検討会」は一連の非公開会合で、広域処理の方針にお墨付きを与えてきたが、これまた議事録が開示されたのは第1〜4回のみで、第5〜11回の議事録は作成されていないというお粗末さであります。
 これで国を信頼して、広域処理に協力をと言われても、住民や自治体の理解を得ることは極めて困難だと思うのですが。

3月14日「『多数』が奪う学びと子どもの環境」

 定例会も今日の総務委員会採決で、全ての常任委員会で、議案の審査を終え、16日の閉会日本会議を迎えることとなります。
 私は、直接審議に加わってはいませんが、同僚議員などの報告を受けるにつけ、文化厚生委員会での審議は、「この際に」という「多数の力」が働くような審議がなされているように思えてなりません。
 懸念をしていた短大廃止につながる県立大永国寺キャンパスの基本設計の予算案も、存続を求める県民の皆さんの疑問や不安に十分応えることもなく、賛成多数で可決されてしまいました。当初、執行部は短大廃止と基本設計関連予算は直接結びつくものではないと言いながら、途中から、基本設計予算を可決すれば短大廃止を決定したことになると説明したり、「発展的解消」の中身が、一部の学ぶ意欲のある方達を切り捨てることにつながることも明らかになるなど決して納得いく議論は尽くされていないと言わざるを得ないように思えてなりません。4年制夜間主コース発足と短大存続のための財源確保が理由で併存できないというのであれば、その必要額を精査した上での財源確保と、他の事業で節約できるものとの是否を県民に問うてみればよいと思うのですが。
 また、こども条例関連費も凍結を求める多数会派の横やりが入り、今日の委員長とりまとめの作成が注視されます。04年に条例が制定されて以降、毎年「こども条例推進事業費」が、昨年までに2247万円、年平均で280万円ほど計上されていた事業を、何を思いついたか突然の凍結など理解に苦しみます。児童虐待や不登校・ひきこもり、子どもの貧困の問題など子どもを取り巻く環境が悪化している今こそ、子どもが安心して学び、健全に成長できる環境づくりこそが求められており、こども条例にもとづいた事業のさらなる推進が求められているはずなのですが。
 そんな疑問を抱きながら、本県が、誰もが必要なときに学べる生涯高等教育の場を失い、子どもたちがあるがままに受け入れられる社会づくりの理念を後退させていくようなことになろうとしていることが残念でなりません。

3月13日「慌ただしい常任委員会審議」

 所属する産業経済委員会も今日10時から、付託事件の議案採決となります。それぞれの委員会にも懸案課題などがある中で、自分の所属する常任委員会での審査にしかあたれないということに忸怩たるものがあります。身が二つ三つとあって、それぞれに審議できれば、県民の皆さんの声を反映したり、いろんな説明や報告ができるのにと思うのですが、なかなかそうはなりません。本会議での質問は年間に一回だけで、加えて少数会派ということもあり、その悲哀を感じることも多くあります。こんな面も議会改革の視点として取り入れたいと思ったりしています。
 それにしても、今定例会での報告すべきことはたくさんあるのですが、なかなかまとめてご報告となりませんので、申し訳ありません。後日、詳細報告させて頂きます。
 「たんぽぽ舎」からいつも送って頂くメール情報「地震と原発事故情報」に、こんな川柳がありましたので紹介しておきます。
  「再稼動国破れて山河なし」
  「国策という過ちがあり余り」
  「脱原発上げたコブシが子を守る」

3月12日「なくそう原発3・11高知集会」


 東日本大震災・福島原発事故から一年を「なくそう原発3・11高知集会」に参加し、被災地に寄り添い、忘却に抗い、脱原発を誓う県民が1000人を超えて結集しました。
 疎開ママ「虹色くじら」の島津佐知子さん、伊方原発差し止め訴訟弁護団の谷脇和仁弁護士、脱原発四万十行動の山本裕子さん、そして、福島原発の現場からの貴重な声を元東京電力技術者の木村俊雄さんが届けて下さいました。
 午後2時46分、参加者全員で東日本大震災の犠牲者に対し、黙とうを捧げた後、丸ノ内緑地から播磨屋橋のコースを脱原発を訴えながらのパレードを行いました。
 このような取り組みが、全国で繰り広げられた3.11をきっかけに再稼働推進を許さない闘いが、さらに盛り上がっていくことを願わざるをえません。
 今から、産業経済委員会に出向きます。

3月11日「まもりたいものがある」

 今なお34万3935人が全都道府県に離散しての避難生活で、うち11万6787人が7県の仮設住宅で暮らされています。死者は自然災害で戦後最悪の1万5854人に上り、3155人は行方が分からないままで、1年目を迎えました。
 昨年の3.11は、金曜日で総務委員会で議案審査をしていました。委員会室で、執行部が慌てだした午後3時過ぎ、東北地方太平洋沖地震の発生が委員会の場に知らされ、丁度教育委員会の審査中でもあったことから、学校での対応を急ぐ必要から直ちに、委員会を休会としたことを、本当に昨日のように思い出します。そして、映し出されるテレビ画面に釘付けとなっていました。
 3.11以後、効率的なまちづくりや安全性より効率性が優先してきた原発という「犠牲のシステム」など3.11以前を反省したこの国のあり方は、本当に見直されているのだろうかと疑わざるをえない1年間の道程だったのでははないかと考えています。
 それどころか、被災地の皆さんの思いとはかけ離れた「惨事便乗型」政治の混乱が、人間的復興の支障となっているし、取り返しのつかない原発災害という人災を目の当たりにしながらも、再稼働推進派の動きが加速化されています。
 こんなことを被災地の皆さんはのぞんでいるのでもなければ、認めているものでもないと思います。被災地の皆さんと同じ目線で、3.11を過ごす一日でありたいと思います。
写真は2月5日石巻市を訪ねたときに、駅前で見つけた市民憲章碑です。これは震災前の08年に制定されたものですが、そこに書かれている内容は3.11以後に定められた憲章ではないかと思わざるを得ませんでした。


3月10日「再び歩き出すために、失われたものを深く悲しむ」

 今朝午前2時25分前に、緊急地震速報が部屋中に鳴り響き、目を覚まして、茨城県での地震と分かり、後はテレビをつけて、津波の心配は、東海村の震度はとテロップを気にしていましたが、最大震度は茨城県高萩市で震度5弱の揺れでした。
 それからは、あれから1年のいろいろな文章に目を通しながら、朝を迎えました。
 「世界」4月号は「東日本大震災・原発災害1年 悲しもう・・・」との特集です。
 「まずは悲しむことをしよう。ともに、深く悲しもう。1年前、様々な思いを残して波に呑まれていった万余の命を。この1年の間に、寒空の下や避難所や仮設の中で、孤独に息絶えていった多くの命を。「悔しい」と言い残して自ら断っていった命を。永遠に失われた家、田畑、山、川、海、風を。生き延びた人間は、失われたものを深く悲しまなければ、再び歩き出すことは出来ない。ともに、深く悼まなければ、共同体は再建できない。そして深く悲しむことでしか、断裂線を超えることはできないのである。」
 昨年の自殺者数は30651人で、14年連続で3万人を超えたことが、内閣府と警察庁のまとめで明らかになりました。14年ぶりに31000人を下回り、前年比では減少しているが、月別にみると、例年は3月にピークを迎えるが、昨年は5月が最も多く、前年同月に比べて21.3%増え、「東日本大震災の影響や、経済環境の悪化が背景として考えられる。」と言われています。
 高知新聞社の調べで震災関連死が2月末までに少なくとも1386人いるとの報道がありましたが、定例会の質問でも「一度は助かった命を守り抜くことの大切さ」を訴えたところです。
 「再び歩き出すために、失われたものを深く悲しむ一年」を迎えます。

3月9日「被災地と向き合う支援」

 毎夜NHKスペシャルは、被災地のこの1年間、原発のこの1年間について報じています。議会中ということもあって、ゆっくり見ることができないので、ビデオにとって改めて見たいと思っています。まもなく3.11を迎えようとする我々が考えなければならないことや課題は多すぎます。しかし、考え続け、被災地と向き会い続けることが、私たち誰もが続けられる「支援」でもあると思っています。写真は昨年6月写してきたものですが、この石巻市雄勝地区の公民館の上のバスは明日撤去されるそうです。

 今日は農業振興部の報告事項を審査の上、林業振興・環境部の議案審査へと入りますが、課題は多く、終日の議論になることと思います。









3月8日「見せつけよう、伊方再稼働のハードルは高いぞ」

 原発問題や沖縄問題を報道し続ける東京新聞の「こちら特報部」が高知新聞の夕刊に掲載されており、読む機会も多いのですが、3月6日づけに「原発再稼働伊方が口火?」とありました。
 この間、定期点検を機に次々と各地の原発が運転を止め、5月には「原発運転ゼロ」になろうとしている、一方で再稼働を目指す動きも慌ただしくなっています。関西電力大飯原発に次いで、ストレステスト(安全評価)の審査が進む四国電力伊方原発3号機の場合、再稼働への障害が少ないと値踏みされる伊方原発の地元では、懸念する声が高まっているとのことです。
 このような闘いを伊方現地の方だけに負わせるのではなく、四国全体の闘いで、再稼働のハードルは決して低くないことを見せつけようでありませんか。それが、間近に迫った「なくそう原発3.11高知集会」の成功にかかっているのではないかと思っています。東日本から高知へ疎開されているお母さんの報告や元東電社員として福島第一原発の運転に携わった四万十市に避難中の木村俊雄さんの報告もあるそうです。
 11日午後2時、丸の内緑地へ集まって下さい。
 
 今日は、産業経済委員会審査2日目です。商工労働部の報告事項と農業振興部の議案審査へと続きます。

3月7日「壁をつくる前に」

 今朝の朝日新聞11面オピニオン「耕論 壁をつくる前に」の記事で、これまで私たちの昭和小学校区市民防災プロジェクトのプロジェクト学習にアドバイザーとして御指導頂いた鈴木敏恵先生が登場されています。
 しかも、そのテーマは「自分の町を詳しく知ろう」ということで、我がプロジェクトの紹介が半分ほどを占めており、今更ながら取り組みの大切さを確認させられたところです。アドバイザーとして手弁当でかけつけ御指導頂く中で、参加者の地域の皆さんの気づきの視点は広がり、防災目線で自分の町を見つめることができ始めたように思います。自分の町のことは、地域に住んでいる市民が専門家と言われ、引き続き昭和小校区の地域の「人と知恵の防波堤(きずな)」を作るべく活動を継続していきたいと思っています。昨年12月に中間報告をして以降、どのような形で最終行動提案集を作成するか、試行錯誤中です。
 このプロジェクトは、鈴木先生の御指導はもちろんですが、昭和小の先生方やPTAのみなさん、地域の防災会や消防分団、この地域を人を守りたいと思っている様々な方々のご協力で取り組まれてきました。そして、会議記録作成やホームページの更新など縁の下で支えてくれた高知大学教育学部の学生さんなど、多くの関わってくれた皆さんに感謝です。これだけの人たちが、命を地域を守りたいとの思いで、自分の町を詳しく知ろうとしていることが、「壁をつくる前に」必要なことだと思います。
 プロジェクトの3月21日の定例会議の前段には事務局会議も開いて、改めて今後の取り組みについて話し合いをすることとしています。

3月6日「近づく3.11」

 随分と暖かくなったなと思ったら、事務所の花壇の花が雨に濡れながらも綺麗に咲いていました。本当に一気にという感じです。十分手入れもしていないのにあちこちで咲き始めるのが楽しみです。
 あれから一年被災地でも、少しずつ春の彩りが目につき始めるかも知れませんが、復興の春はまだまだ遠いと感じざるをえない被災地、復旧にさえ着手できない福島の報道に、継続した支援が求められています。
 3.11には、原発をなくし、自然エネルギーを推進する高知県民連絡会準備会の主催で「なくそう原発3.11高知集会・パレード」が、丸の内緑地で開催されます。そして、31日には3.11を受けて高知へ避難・移住してきた母の会「虹色くじらの会」の皆さんの主催で映画「チェルノブイリハート」上映会×木下黄太さんの講演会が開催されます。これらの取り組みが成功するかどうかに、高知からの脱原発運動の将来もかかっているのではないかと思っています。
 みなさん、どうぞご結集を。


3月5日「すもうにおきゃくに高知の熱気」

 毎年の挨拶も10回目となった「高知県ちびっ子相撲春季選手権大会」が昨日開催されました。大会そのものは19回目を数え、歴代の優勝者には、現在は大相撲で活躍の豊ノ島、土佐豊や栃皇山が名前を連ねています。しかし、最近は出場する少年相撲クラブも減り、私が挨拶に伺い始めた頃の10年前とと比べても1/3ほどに減っています。そんな中で、ここ数年少女力士の活躍も目立ち、土俵上の熱戦は変わらず、盛り上がりを見せていました。中には物言いのつくきわどい取り組みも二番ほどあり、館内は終始応援のみなさんの声援で賑わっていました。
 来年は20回という節目の大会でもあります。なんとか多くの出場力士たちで盛り上げたいものです。なお、この大会の模様はテレビ高知で3月31日(土)16時から放送されますので、テレビ桟敷での応援をお願いします。
 午後3時前に終わった大会を後に、雨天の中でも盛り上がっていた土佐の「おきゃく」2011のメイン会場となっている中央公園に立ち寄りました。ステージでは、豆電球の小松さんの熱演やところてん早食い競争などで盛り上がっていましたし、雨が降っていたせいもあってテント内では、空席を探すのに大変でしたが香南市のにら塩焼きそば四万十市のツガニうどんを食べて満腹になりました。どちらも屋台バージョンなのか少し具が少なかったり、ツガニが入っていなかったり(その分値段が安い)と写真には違いがあるかも知れませんが、ツガニうどんの味は十分満足できました。
今週いっぱい、いろんな催しがありますので、是非、お立ち寄り下さい。


 今日から、予算委員会です。予算委員ではありませんが、傍聴に行ってきます。

3月4日「人権侵害と差別を許さないために」

 3.11から1年を迎えようとする中で、全国の法務局が昨年1年間に扱った「人権侵犯事件」は、総数2万2168件(前年比2・2%増)で、「学校でのいじめ」が3306件(同21・8%増)と 2009年の1・85倍に急増し、過去最多を更新したことなどを、法務省が発表しました。「児童(18歳未満)に対する暴行・虐待」も865件(同12・2%増)で、3年連続で過去最高だったとのことです。
 また、 福島県から避難した人が、近隣住民から子どもを公園で遊ばせないよう言われたりなど、東日本大震災に関連した人権侵犯も29件にのぼったそうです。
 原発や米軍基地が犠牲のシステムという差別構造の上に成り立っていることが明らかになっているが、そんな差別構造の中で歴史的に人間らしく生きることを奪われ続けた被差別部落の民衆が京都岡崎公会堂に結集し、立ち上がった全国水平社が創立されたのが、90年前の3月3日でした。
 あらゆる人権侵害と差別を許さない闘いに新たな一歩を踏み出すための節目としたいものです。

3月3日「議事録アップしました」

 昨日で本会議の一般質問が終わりました。私の質問と答弁のテープ起こしができましたので、「議会質問・議事録」のコーナーにアップしました。これはあくまでも仮の議事録で、議会が作成する正式の議事録は6月になります。高知短大に関することや脱原発に関することなどをはじめ、早く確認したいとのお声もありますので、ここにアップしますのでご覧になって下さい。全体で約44000文字という大量ですので、必要なところだけでもご覧頂ければと思います。

 今日から土佐の「おきゃく」2011が始まります。今日は昨日に引き続きいい天気ですので、是非、会場に繰り出してみて下さい。私は、午後から朝倉で会がありますので、今日は無理かも知れませんし、明日もちびっ子相撲春季選手権大会で挨拶とかで、無理だったりして。

3月2日「PPSからの電力購入」

 先日の質問でPPSからの電力購入のメリット試算と検討について質したことに、総務部長は「一概に算定できないが、契約電力50kw以上でPPSからの購入が可能なので、研究する。」との答弁に止まりました。昨日、世田谷区保阪区長は記者会見で、PPSから購入することによって、東京電力が4月からの値上げを実施した場合、年間およそ4400万円の削減になるということを述べています。高知でも、もっと早く研究し、具体化にうつしてもらいたいものです。
 一般質問は今日が最終日で、来週からは予算委員会、常任委員会へと審査は続きます。

 これまで告知してきた今夜7時30分〜の「四国羅針盤スペシャル〜巨大地震 備えはどこまで進んだか」の中で、津波避難ビル議論中の我がマンションでの取材が放送される予定でしたが、編集で先送り、今月末30日のとさ金8になるようです。お詫びとお知らせです。

3月1日「質問戦に悔い有り」

 本会議での代表質問が終わり、昨夜はどっと疲れが出ました。第一問が43分ほどかかり、残り7分で再、再々質問となり、時間切れ。あれも言っておけば良かった、これも言っておけば良かったと、いつもと同様随分と悔いの残るやりとりになりました。それでも、再、再々質問と追及する中で、少し明らかになった課題もあるように思います。昨夕のニュースや今朝の新聞報道(1)では、伊方原発で事故が起きた際の県の対応が取り上げられた記事が多くありましたが、短大の問題なども、矛盾が見えたように思いますし、地震対策なども取り組むべき課題がさらに明らかになったり、その他の課題でも、県の姿勢を一歩前へ進ませることになったのではと思っています。正式な議事録やホームページへのアップは数ヶ月先になりますので、できるだけ早くこのホームページを通じて、皆さんにお知らせするため、テープ起こしを依頼して、来週の早い段階でアップできるようにしたいと思います。少々お待ち下さい。
 議場で傍聴して頂いた方、ネット中継を傍聴して頂いた方からもメールを頂きました。ありがとうございました。





2月29日「県民のみなさんとともに質問へ」

 今日、午後からの質問準備のため、バタバタしていて、更新にあまり時間が割けずに申し訳ありません。
 昨日通告内容を載せたことで、いろいろとご意見も頂いていますが、 1 知事の政治姿勢についての(3)対話を施策にどう反映させるかについての中で短大のことにも触れる予定です。今回は、県政アンケートはがきや意見交換会で頂いた意見も盛り込ませて頂いています。その意味では、県民の皆さんとともに質問するというつもりで頑張りたいと思います。

2月28日「私の質問は明日です」

 今日から質問戦が始まります。
 私の出番は、明日の二番手なのですが、私の前の質問者への答弁が長くなったりすると、午後一時の予定がずれ込む場合もありますが、概ねそんなところだと思います。よろしければ議場、またはネット中継での傍聴をよろしくお願いします。
 昨日、質問通告をしましたが、項目は以下のとおりです。
1 知事の政治姿勢について
(1)課題解決と県民の参加意識について
(2)公開の姿勢について
(3)対話を施策にどう反映させるかについて
2 防災・減災・南海地震対策について
(1)広域災害への自治体間連携のあり方について
(2)避難場所・避難路の確保について
(3)長期浸水対策について
(4)防災教育と防災教育の担い手育成
(5)災害弱者をはじめとした避難支援、避難所支援体制を
3 雇用政策と公契約条例について
(1)仕事を創り出す雇用政策について
(2)公契約条例の制定について
4 脱原発と新エネルギーについて
(1)地域防災計画と原発災害について
(2)原発の代替エネルギーの確保について                  
(3)PPSからの電力購入について
(4)食料における放射能汚染と給食食材について  
(5)放射線等に関する副読本の活用について     
5 観光振興とユニバーサルデザインについて
6 食のセーフティネットについて

 これから、今日の質問者に対する答弁なども聞きながら、質問内容の推敲を重ねて、明日に備えたいと思います。

2月27日「いよいよ明日から質問戦へ」

 先日、NHKからマンションの津波避難ビル化についての取材を受けたとの話でしたが、3月2日(金)19時30分〜の「四国羅針盤スペシャル〜巨大地震 備えはどこまで進んだか」で放送されるようです。四国での、南海地震に備えたさまざまな対策について、避難方法や避難場所、災害情報の伝達手段の見直しなど、命を守るための備えを私たちはどこまで進めることができたのか。沿岸部のすべての自治体に対してNHKが行ったアンケート調査を基に、地震・津波対策の課題と、これからの「減災」への道筋を考える内容になっているようです。関心のある方は、ご覧になって下さい。
 いよいよ明日から本会議質問戦です。私の質問の大きな項目は以下の予定ですが、登壇は二日目だけに、初日のやりとりを聞いて内容の変更もありますけど、明日にはもう少し詳しくご報告したいと思います。
1 知事の政治姿勢について
2 防災・減災・南海地震対策について
3 雇用政策と公契約条例について
4 脱原発と新エネルギーについて
5 観光振興とユニバーサルデザインについて
6 高知における食のセーフティネットについて

2月26日「高齢者や障害のある方も安心できる観光振興を」

 1946年11月10日、新憲法公布記念として始まり、今年で66回を数え最後となった「高知マラソン」の選手達を知寄町電車通りで激励しました。(写真は二番手集団ですが、ここの二列目に過去二回優勝経験があり、選手宣誓も行った県庁ランニングクラブの植村選手がいます。10年前に同じ職場で机を並べた仲間です。頑張れ。)
 来年からは、「高知龍馬マラソン」と銘打った市民マラソンとして衣替えされることになり、県が新たに主催者として加わり、開催費補助2千万円が来年度予算に計上されています。また「龍馬にあやかるかよ」という声も聞かれますが、競技選手から一般ランナーまで幅広い参加を募って、初年度は3千人規模の大会を目指すとのことです。
 また、幡多地域の名所を自転車で巡る「四万十・足摺 無限大チャレンジライド プレ大会」(県主催)が昨日から始まっています。初日は約120人が参加ということで、昨年のコクウェイ四国につながる自然豊かな県の魅力を生かし、自転車観光につながるものとしてこの時期に定着させたいとのことです。
 力の入るスポーツツーリズムですが、私は今回の質問で観光振興とバリアフリーについて取り上げたいと思っています。
 高齢者や障害のある方が安心して旅行を楽しめる環境を整えてこそ、来年の「わざわざ行こう志国高知へ」というキャッチフレーズにも応えることになるのではと思います。
 それでは、今から議会控え室へ質問準備のために出向きます。腰の調子は、腰痛ベルトは外せるようになりました。




2月25日「高知でもフードバンク事業のネットワークを」

 昨日は、質問でも取り上げる予定のフードバンク高知に視察が入るというので、出向いたら元派遣村村長で自立生活サポートセンター・もやい事務局次長で内閣府本府参与の湯浅誠さんもお見えになっていて、いろいろと意見交換をさせていただきました。09年10月に来高されたときも、交流会で貧困の課題についていろいろ御指導頂いたことを思い出しました。(写真左は、湯浅さんとの意見交換、中央はフードバンク高知に届いている大量の粉ミルク、右は視察に訪れた方達に事業の説明をされる青木さん)
 政権交代で、湯浅さんや自殺対策ネットワークのライフリンクの清水康之さん達が内閣府に入って、反貧困、生きづらさを感じている方への支援策が強化されたことは自公政権では多分取り組まれなかったことだと思います。
この反貧困、格差解消、生きづらさへの支援の課題は、地方からもしっかりと取り組まなければと思っています。
 昨日は、腰痛のことを書いたために、心配のお声を頂きました。ご心配かけました。少しは痛みも和らいでいますが、湿布と飲み薬は続けなければと思っています。今日も一日質問準備で、議会控え室へと出向きます。

2月24日「腰痛と付き合いながらの質問準備」

 昨日の朝から、急に腰痛が激しくなって、夜も遅くまでは質問原稿作成ができませんでしたので、今朝は早く起きて自宅でパソコンに向かいました。しかし、このパソコンの調子が悪くて、結局6時前から事務所に出てきての作業となりました。おまけに腰痛ベルトを巻いての一日になりそうです。年に一度は、こんな状態になってしまいますが、よりによって質問を控えての直前というのはまずいです。
 今日、午前中は質問の中でも取り上げる予定のフードバンク高知の視察をして、後は議会控え室で缶詰になります。この土日も腰痛と付き合いながら質問準備に忙殺されることになりそうです。

2月23日「マンション自主防災会の立ち上げもあちこちで」

 昨夜は、近隣マンションが自主防災会を発足するにあたって勉強会をするので、サーパス知寄町T自主防災会での立ち上げとその後の活動についての話をして欲しいとの依頼があり、いろんな意見交換をさせて頂きました。出される質問の中には、改めて取り組みの不十分さを痛感させられるような鋭い質問もあり、次の活動に生かさなければと思ったところです。来月にも、また別のマンションからもお声がかかるなど、3.11以後マンションにおける自主防災組織化が進み始めているのかと感じ始めています。昨晩のマンションでも、出ていた話ですが、「最初は隣の人、同じ階の人を知るところから始まるがよね」というところが共助の原点でもあり、集合住宅の弱さなのかも知れません。日頃からそのことを意識したご近所づきあいがあれば、組織を立ち上げてもうまく進むのではないでしょうか。
 昨日は、語学学校の入ったビルが倒壊するなどして日本人生徒28人を含む185人が犠牲となったニュージーランドの大地震から1年を迎え、現地で慰霊式典が行われました。昨年の今日のこの「今日この頃」欄で「大地震が頻発する国でありながらも、備えは決して十分でなかったことも被害を大きくしているようですが、それだけに我々は急がなければなりません。」と結んで、その17日後に東日本を東北地方太平洋沖地震が襲い、今、私たちが次の大地震と向き合おうとしています。
 さて、そろそろ、質問項目を整理しなければならないということで、尻に火がつき始めました。昨年までは、質問者として3番目の登壇でしたが、会派の議員数が減ったことから、今年は5番目となっており、それまでの登壇者の質問とかぶらないようにするためにどのような視点で質問をするかということに、今まで以上に神経をつかう大変さを痛感しています。だぶってしまうと「○○議員にもお答えしたとおり・・・・・・・」と同じ答弁が繰り返されることになりますので、50分の質問時間がもったいないんですよね。そうならないように頑張りたいと思います。

2月22日「問われる海と山のつきあい方」

 今朝の朝日新聞13面オピニオン欄に「海はよみがえる」との見出しで宮城県気仙沼市のカキ養殖業でNPO法人「森は海の恋人」理事長の畠山重篤さんのインタビュー記事が載っていました。
 畠山さんは、津波で施設に壊滅的な被害を受けたが、「津波にどう立ち向かうか、ということよりも、海や山とどうやってうまくつきあっていくのかを考える。そのことの方が、私たちにとってはずっと重要な問題なのです。」と言い、「津波被害からの復活には、森をどうするかを考えないといけない」と主張し続けています。
 哲学者の内山節さんは著書「文明の災禍」の中で「三陸の漁師たちのように津波をも自分たちの営みの中に飲み込んでいく力強さを、われわれは失っていた。ここにもまた現代文明の敗北がある。」と述べています。
 海と向き合い、すぐ近くまで迫っている山を背にした高知県もそのことをしっかり踏まえた付き合い方、南海地震への備えが問われているのではないでしょうか。
 昨日開会となりました2月定例会で質問の多くを割きたいと考えている南海地震への備えには、あらゆる視点をもって望みたいと考えています。



2月21日「2月定例会開会へ」

 昨夜、関電高浜3号機が定期検査のため停止し、西日本では全ての原発が停止状態に入りました。
 残された東電柏崎刈羽原発、北電泊原発がそれぞれ3月26日、4月下旬に停止して、それまでに再稼働する原発がなければ、全て停止することとなります。関電管内では、大飯原発再稼働に向けた動きなど再稼働に腐心する推進派の動きが強まっていますが、再稼働しなくてもよいエネルギー政策の確立に全力を傾注することこそが求められているのではないでしょうか。
 つい先日から、電車通りに写真のような標識が電柱に施されました。ほぼ毎日自転車で通勤していて気づいたのは19日日曜日でしたので、それほど以前のことではないと思います。標高0メートル地帯に5メートルの標識が少しでも日頃の備えに役立つことを期待します。
 いよいよ本日、2月定例会が開会します。来年度予算を始めとする議案審議に向けての25日間が始まります。来週29日の午後に本会議代表質問で登壇予定の私は、質問の作成に向けて臨戦態勢に入らなければなりませんが、明日も某マンションの自主防災会設立準備のための勉強会に出向くことになっており、夜の時間を質問作成に有効に使える日が限定されたりで、少々焦っております。
 これまでにも、途中報告してきました県政アンケートハガキや意見交換会での意見や提言を踏まえた質問を作成しているところです。頑張ります。




2月20日「県内食材の健康価値で6次産業化を」

 昨日は、NPO法人「食と健康を学ぶ会」第二回講演会で、受田浩之高知大学副学長の「『高知県産食材で健康づくり』聞いて良かった!高知県食材の機能性!」について聞かせて頂きました。
 昨年10月23日に「『今、なぜ食育か?』〜環境と健康を考える in 高知〜 子どもの健康と未来を考える」でも受田先生から、「食」と「健康」の有機的な繋がりについてお話しを聴く機会がありましたが、今回も受田先生の県内食材の健康価値について実験の結果を基に科学的根拠を示して頂くお話しは興味深いものでした。
 「碁石茶の有する抗酸化能(動脈硬化予防)とインフルエンザ感染予防効果」「ニラ・ショウガの有するピロリ菌感染予防効果」「カツオの糖尿病合併症予防と抗疲労効果」「ナス科植物の糖尿病予防効果」「アンチエイジング(抗老化)食品」について、それぞれの実験結果などにもとづいて「暗黙知」から「認識知」として、理解させて頂きました。
 みなさん、高知県では何故カツオがそれほど好まれるかと聞かれたら「糖尿病合併症予防と抗疲労効果があるから」と答え、何故イタドリを食べるのかと聞かれたら「アンチエイジングのためだ」と胸を張ろうではありませんか。地域の食材が、県の産業として大きく前進していくためにも、先生の言われる「地域資源の優位性×地域の意欲×商品開発の考え方」という「地域の方程式」を念頭に頑張りたいものです。
 講演会の帰りには、「てんこす2周年こじゃんと感謝祭」テント市に早速立ち寄って、碁石茶を購入して帰りました。

2月19日「『てんこす2周年こじゃんと感謝祭』は今日まで」

 2月11日から開催されている「てんこす2周年こじゃんと感謝祭」に立ち寄ってきました。私の目当ては各地の生産者が出店しているテント市で、なおかつモミジバーガー(鹿バーガー)でしたが、鹿コロッケも買って食してみましたが、美味しく頂きました。少し味が濃いかなという感じでしたが、両方ともいけます。さらに、土佐清水の元気プロジェクトの足摺フライセット、土佐市宇佐の宇佐もん工房のうるめいわし寿司と購入して、土佐の食三昧の昼食と夕食でした。これらの商品がもっともっと県内外に広がっていくことを応援していきたいものです。
 感謝祭も今日までです。11時から16時
までは、深層水ブースで室戸海洋深層水PRイベントも行っていますので、
そちらも楽しんで頂きたいものです。今日は天気も良くて、昨日より寒さも和らいでいます。是非、大丸南、中央公園東口のせれくとしょっぷ「てんこす」にお立ち寄り下さい。  
2月18日「鍵屋さんとの出会いが地震対策の条例化の確信に」
昨日は、午前中からの県・市病院企業団議会定例会・議員協議会が休憩時間のないままに午後1時過ぎまで開催され、1時半から「社会福祉法人向け・事業継続計画(BCP)セミナー」に、昼食も取らずに駆けつけ、夕方は県予算についての意見交換がありと、慌ただしい一日でした。
 県・市病院企業団議会では、今年度の収支は約1億円の黒字決算となる見込みの補正予算と、来年度も額は1200万円ほどとなるものの黒字予算となっており、これらの予算案を全会一致で可決しました。実質的には、昨年も黒字になっていましたが、2005年の開院以来、初めての黒字決算となりそうです。
 また、職員定数を80名増員し980名とする定数条例改正についても、医師体制の強化をはじめ休床していた8A病棟の開床対応や脳卒中ケアユニット対応、NICU増床など各部門の体制強化に向けて増員していくこととしており、新年度当初には941名の体制でスタートすることとしております。
 去年3月から運航を始めたドクターヘリのヘリポートは資材不足などから完成が年度をまたいで5月頃になるとのことです。そして、四国で初めて児童・思春期の子どもたちの専門病床を設ける44床の精神科病棟(写真)が今年4月に開設される予定です。
 「社会福祉法人向けの事業継続計画(BCP)セミナー」は、社会福祉施設における防災対策、事業継続計画(BCP)の基本的な考え方と必要性、また過去に発生した地震における対応事例についての内容で、鍵屋一東京都板橋区福祉部長のお話しがありました。
 実は、鍵屋さんにお会いするのは、8年ぶりで、南海地震対策推進のための条例化について当時防災課長だった鍵屋さんにご指導願ったことがあったからです。
 私は、初登壇以来、南海地震対策推進の条例化にこだわっていたのですが、04年7月定例会の質問の中で、鍵屋さんから「県が条例をつくることによって、県下の自治体の長の姿勢も変わってくるし、事業所や県民の意識も変わってきます。取り組みの積み重ねや県民の意識が高揚した段階で条例化というのは、逆だと思いますよ。高知はさまざまな防災対策の大きな試みができる県であって、全国の地震対策のリーダー県になれる可能性を持っているんです。いずれにしても、防災対策、地震対策は首長のやる気がポイントだ。」と指摘されたことを引用して、追及し、05年1月県が条例化に向けた姿勢を表明したものでした。そして、08年3月25日「高知県南海地震による災害に強い地域社会づくり条例」が公布されました。
 鍵屋さんの8年前と変わらぬ熱い思いを感じることのできた、2時間でした。

2月17日「災害弱者、本県観光の弱点、林業振興、短大存続などのご意見が」
 昨晩は、寒い中を夜遅くまで第43回県政意見交換会におつきあい頂きました皆さんありがとうございました。
 私の方からは、来年度予算案の特徴と概要、さらには県政アンケートはがきの結果に基づいた南海地震対策の課題などについて報告させて頂きました。それを受けて、会場からは3人の方から「高齢者や障害のある方などが、災害から避難できるしくみ。災害弱者を生み出さない健康長寿県構想のとりくみを。」「産業振興計画の中に医療・保健・福祉などのサービス産業の推進課題があってよいのでは。」、「本県観光の弱点として、高齢者や障害者が宿泊できる施設の少なさやそのことに配慮された観光施策が展開されていないことがある。真のバリアフリーを隅々まで。」「銘建工業の進出が本県の林業振興に、本当に役立つのか。一方で、県内製材業は一向に活性化しないという矛盾がある。県内産の木質ペレットが輸入品に駆逐されないよう注視すべき。」、「高知短大については、パブリックコメントの9割以上が存続を求めている。学長の説明も、過去の検討経過をや学生・県民の声を無視して、理由にならない短大の役割終了を唱えるばかり。今だからこそ、存在意義のある短大存続に向けて取り組んで欲しい。」などのご意見を頂きました。
 本当に遅くまで熱心に参加して頂いた皆様に感謝しています。
 昨夜の皆さんのご意見や引き続き受け付けていく県政アンケートはがきのご意見などを踏まえて、よいよ代表質問の課題整理に取りかかっていきたいと思います。
 今から、県・市病院企業団議会出席のため事務所を出発します。


2月16日「県政アンケートはがきに見られる地震対策への不安」
 これまで皆さんにご協力頂いたアンケートはがきは370通の返送を頂きました。ご協力をありがとうございました。一応の締め切りは、過ぎましたが、いろんなご意見を頂きたいと思いますので、まだまだ送って頂けたらと思います。
 ところで今夜の県政意見交換会で詳細をご報告しますが、「加速化の図られる南海地震対策ですが、本県にとって 優先されるべき課題の順番をつけて下さい。」としておたずねした設問では、グラフの通り「避難場所・避難路の整備確保」が圧倒的な多さで選択されました。これは、優先順位1、2、3、4、5位の順に5、4、3、2、1ポイントを乗じて、総合点数の多い項目から並べ直したものです。これを見ても、相当に「逃げる」ということが、徹底されようとしていることが伺えるのではありますが、その一方で「避難場所・避難路の整備確保」が遅れていることの裏返しでもあろうかとも思います。
 9年前の夏に初めてこの県政アンケートハガキで地震対策について尋ねたときには、同じ選択肢ではありませんが、避難場所確保は住宅の耐震化などと並ぶ2番目の多さで、当時最も多かったのが県民向けの地震対策マニュアル作成・配布で、そのことを議会質問で取り上げて「南海地震に備えチョキ」につながりました。半数を超える方から、さまざまな提言も頂きましたので、今回も、皆さんの声を質問の中で届けていきたいと思います。
 また、地震対策以外で、記載されていた主な課題としては、「TPP反対」「脱原発再生可能エネルギー」「経済対策、雇用対策とりわけ若者定住につながる対策や中高年対策を」「短大廃止反対」「少子化対策」などについての記載がありました。
 今晩は、たくさんの方のご来場をお待ちしています。


2月15日「アンケート結果や県予算をもとに意見交換を」
 県の来年度予算は、4340億円で4年連続の対前年度増となっています。前年度比では3億円、0.1%増と小幅ですが、これまできめ細かな施策の財源となってきた経済対策基金事業が168億円減となっていることから、実質的には171億円、4.2%増という説明がされています。そして、借金とも言える県債は、後年に交付税措置がされる臨時財政対策債臨財債3288億円を除くと実質県債残高は5154億円で前年度比114億円減少となり、貯金の財政調整基金は166億円となっています。
 そして、今の高知県政の主要な5つの柱は「大きく進化した第2期産業振興計画」に159億円、「南海地震対策をさらに加速化・抜本強化」に 179億円、「バージョンアップした日本一の健康長寿県構想」に 417億円、「高知県教育振興基本計画・重点プランの推進と県立大学改革」に127億円、「遅れた本県のインフラ整備を着実に推進」に824億円とそれぞれに充実を図っています。
 特に、昨日も報告したように南海地震対策を集中的に進めるため、新設した市町村向けの独自の交付金制度「津波避難対策推進事業費交付金」をはじめとした「南海地震対策をさらに加速化・抜本強化」に充てる予算は当初ベースで1.6倍となっていますが、昨日段階で集計した「県政アンケートハガキ」でも「避難場所・避難路の整備確保」が圧倒的に県民から望まれていることが明らかになりました。
 そんなことなどを踏まえて、明日の県政意見交換会では報告するとともに、参加者のみなさんと意見交換をさせて頂きたいと思います。是非多くの皆さんのご参加をお待ちしています。
2月14日「『逃げるしくみ』を公民協働で」
 県が2012年度から2年間、南海地震対策を集中的に進めるため、市町村向けに独自の交付金制度を新設し、「逃げる」対策をその間に完了させる予定とのことだが、それでどれだけ沿岸部の県民の安心感を確保できるかの実効性も問われることになると思われます。現時点では、約12億円を見込んでいるとのことだが、それで「逃げる」しくみが網羅されるのか、公的な措置で取り組めるところに限りある中で、民間資源をどのように活用するのか。その「折り合い」をつけながら、どう進めていくのかも問われるのではないでしょうか。
 この間、津波避難ビルについて検討してきた私の住むマンション自主防災会は、何度かマスコミの取材も受けてきましたが、議論をすればするほど受け入れる側として避難者に対する支援の課題が出てきます。指定されたら終わりではなく、そこで発災後の一時期を避難者とともにどう過ごすのか、課題克服への行政支援と日頃の地域との繋がりが問われてくるのではないかと思います。そんなことについて、明日またマンションで取材を受けることとなっています。
 昨日、県が主催する「事業継続計画(BCP)セミナー」を受ける中、「大規模な災害や事故、突然の業務停止などの危機的状況が発生することを前提に、そのような状況に遭遇しても企業や組織が継続できるよう、事前に課題や対応方法を見える化し、迅速な行動が行えるように準備しておくことが事業継続マネジメント」であるということを前提に話を聴いていると、改めて計画をつくったら終わりではなく、「迅速な初動と意志決定」が行えるために動ける人材とルール作りが重要であることを学ばされました。
 自主防災会や地域でもそんなことを意識して動いていくということでは、共通する部分もあるのではと思いながら聴かせてもらいました。
2月13日「PPS参入の障壁」
 東電が、電気料の値上げを打ち出したことに対して、電気料金の負担増が数十億円にのぼる東京都や埼玉県、横浜市は異議を唱えているようで、大株主の東京都はコスト削減が不透明だとして、値上げを認めない方針を伝えたということです。
 また、11日付けで書いたPPSの電力会社に送配電網の使用料として支払う託送料について、原発を推進するための電源開発促進税などの負担分が加算されていたことが分かったそうです。東京新聞によると、火力発電や工場の余剰電力を売電するPPSに、原発費用を負担させていたことになる割高な託送料は、電力の新規参入を妨げる一因となっていることが明らかになったそうです、
 グリーン市民ネットワーク高知からの情報をお知らせします。
 グリーンピース・ユース(グリーンピースの若者グループ)が伊方原発付近の側道から200個の風船を飛ばしたそうで、この行動は、2月16日に伊方町で実施予定の避難訓練にさきがけて、行われたもので@原発事故が起こった場合に放射性物質がどこに飛んでいくか調べることA四国や九州そして瀬戸内海への被害、そしてどれほどの人が長期避難しなければならないか、原発はそんなリスクに値するのかをみんなで一緒に考えることを目的にしているそうです。
 この風船には、脱原発のメッセージと共に、「伊方原発から飛ばしました。この風船を拾った人は場所を知らせてください」と書かれた紙がつけられていますので、風船を拾った方はぜひご連絡くださいとのことです。その結果を、行政の行う伊方原発避難訓練前日の15日に、グリーンピース・ジャパンのウェブ上で発表する予定です。手にされたみなさんのご協力をよろしくお願いします。
2月12日「走り続ける、座り続ける、闘い続ける」

 以前にも紹介した「1047名の不採用問題は終わっていない!政府の約束不履行を許さない、国会前1047qマラソンアピール行動」の中野君を先日上京した際に激励してきました。
 毎日の天候の悪条件や毎日50qの走破という厳しさの中で、1047人の仲間の「人らしく生きる」ことの思いを胸に、走り続けることで闘い続ける中野君に敬意を表します。そして、ハンストや伴走で励まし続ける全国の仲間ににも感謝です。昨日は、高知から駆けつけた県職労の5人の仲間も一緒に行動しています。
 1月27日からスタートしたこの行動も今日を含めてあと5日間、明日からの東京の天気は雨のようですが、早くあがって中野君の味方になってあげて頂きたいと思います。最後まで頑張れ。
 そして、右端の写真はこれも以前に取り上げた経済産業省敷地の片隅で約4ヶ月以上にわたって脱原発を訴えてきた市民団体の脱原発テントです。テント内の方たちを激励してきましたが、私の前に入っていた方は鹿児島から来ていた方でした。昨日は2・11さよなら原発1000万人アクション全国一斉行動in東京が開催されたが、高知でも3.11に開催する「なくそう原発 3・11高知集会」が準備されています。脱原発を願う県民の方々の参加で、何としても成功させたいものです。

2月11日「芸西村が四国で初めてPPSから電力購入」

 今朝の高知新聞に芸西村が四国で初めてPPS(特定規模電気事業者)から電力購入することの記事が載ってました。
 これまでにも、「経産省などは東電から電気を買ってない」として、「入札で勝てなくなった大手電力会社」のこと、自治体でも公開入札に踏み込むところが多くなっていることなどPPSのことなどについて取り上げ、「千葉県流山市の電力入札において、PPS事業者は参加したが、東京電力は参加を辞退し、競争入札になる場合は、今後参加しない方針だという。」情報も報告してきました。
 四国内にPPSがないことから、忸怩たるものがあり、先日も、徳島のある議員と四国にPPSがない中で島外の業者から購入するとしたら託送料は、四国電力分だけは必要になるとのことなので、それで対応すればどのようになるか研究しようという話をしていたところでした。
 そんな中での、今朝のニュースですから、少々驚きました。それにしてもこの話自体は画期的なのですが、「仲介業者」の斡旋というのが気にかかります。村長の言うコスト論だけなら何故競争入札という方法をとらなかったのかと、気にかかります。競争入札になったら、いろんな課題がもっと明らかになったのではと思います。
 今日も伊方原発全機停止で、「安定した需給状況となる見込みです」(でんき予報)


2月10日「いよいよ定例会モードへ」

 いよいよ来週14日には2月定例会の議案説明も控えていて、議会モードに入りつつあります。
 査定前のものではありますが、議会棟図書室に届いた予算見積書その3という書類を各課ごとに順次目を通しています。これは、私が初めて議員になったときから、財政課に提出を求め、予算議案を補足するものとして利用させてもらっています。何とか14日までに目を通し、議会に提案される予算説明に備えたいと思います。
 また、16日の県政意見交換会も近づいていますが、それまでに届いた「県政アンケートはがき」の集計分は、概要も報告しながら参加者のみなさんと意見交換をして、質問にも反映させて頂きたいと思います。現在のハガキの返却状況は約300通を超した所ですが、もっともっと声を聴かせて下さい。
 そして、16日には意見交換会の場にお越し下されば幸いです。よろしくお願いします。


 写真は石巻駅前のサイボーグ009の像です。駅前から萬画館までのマンガロードには、さまざまな石ノ森作品のキャラクター像が一日も早い街の賑わいを待っているかのようにたたずんでいます。




2月9日「街のあちこちに復興格差が」

 昨日、石巻の第一印象を「仙台からの高速バスで石巻に向かい、インターを降りて最初の停車場のイオン前で、満車状態の駐車場を見たとき、少し驚かざるを得ませんでした。」と書きましたが、7日付の朝日新聞の「現場から/大震災と経済」にある「石巻の中心街特需と無縁」の見出しにある記事がそのことを言い表していると思ったところです。
 郊外大型店の盛況ぶりと中心商店街の閑散とした状況の格差に、復興の課題の大きさを感じざるをえません。
石巻商工会議所と石巻市が中小企業基盤整備機構の制度を活用して整備した「石巻立町復興ふれあい商店街」も、日曜日で休業中の店が多かったせいかほとんどお客さんの出入りもなく、アーケード街では、再会させた店舗もまだまだ少ない状況であり、先が見えない状況が中心商店街には漂っていました。
 一方、復興特需を当て込んだ郊外大型店は、大きく売り上げを伸ばしているのです。この格差を放置した復興事業では、中心商店街の空洞化が固定化してしまうことが懸念されます。
 6月に訪ねた門脇小学校の周辺も7ヶ月近く経っても大きな変化がなく、一部の残った建物だけが白い薄化粧をしていました。その中に、門脇小を訪れたときには気づかなかったのですが、一つぽつんと土蔵が残っているのを見つけました。これが沿岸部が壊滅的被害を受けたにも関わらず津波による流出、倒壊を免れた民家の土蔵を「津波で傷つきながらもしっかりと立つ土蔵の姿は石巻復興のシンボルともなる」ということで震災メモリアルとして残そうとしています。
 また、石ノ森章太郎の萬画館は痛ましい姿を残したままなど、街のあちこちの爪痕が少しずつでも癒されていくための支援が求められています。

 【お断り】サーバーの更新によって、少し不具合が生じているかもしれませんが、16日からは安定すると思いますので、よろしくお願いします。

2月8日「避難所も人間らしく」

 今回の石巻訪問の目的は、2月定例会で南海地震への備えに関する議会質問をする際に、被災地の今に少しでも触れておきたかったことと自主避難所・明友館を訪ねておきたかったことに尽きます。
 東京での会議の前に一日だけ時間をとっての訪問ですから、石巻に居た時間は僅か4時間程度でした。
 仙台からの高速バスで石巻に向かい、インターを降りて最初の停車場のイオン前で、満車状態の駐車場を見たとき、少し驚かざるを得ませんでした。しかし、そこから石巻駅前で降りて、タクシーで明友館に向かう車中からの光景は復興に向けた歩みの厳しさを感じざるを得ませんでした。
 この明友館を訪問するきっかけは、「笑う、避難所 石巻・明友館136人の記録」という本との出会いで、今の場所を明け渡すことになる3月末までには、何とか訪ねてリーダーの千葉さん(写真:左から二番目)にお話しを伺っておきたいとの思いからでした。
  「悲しみは3日で捨てた」奇跡の避難所の姿は、是非本を読んでみて下さい。現地でお会いした「保健室のあねさん」佐藤ゑみさん(写真:右端)は、「この本を読まずして避難所を語るなかれ」と仰っていましたが、そこには避難所のありかたを考えさせられる「被災者も人間らしく」という思いが込められています。
 千葉さんからは、行政が求める「公平と統制」が優先する避難所のあり方と避難している被災者の思いとのギャップや人の繋がりを紡いでいける人材やリーダーはすぐに育つものではないこと、津波によって一旦失ってしまった歴史や文化や情緒が取り戻せないまちづくりになることへの心配、仮設住宅で人間らしさを失っていくことへの心配などなど書き尽くせない多くのことを聴かせて頂きました。
 特に、行政が求める「公平と統制」が優先する避難所のあり方と避難している被災者の思いとのギャップは、まさに、この非常時にあって、相変わらずの行政システムの弊害とどう向き合うことができるのかということが、発災後の復旧に向けて市民と行政が同じ方向に向いていけるかどうかを問われていると思いました。
 今は、在宅避難者の支援のためにやるべきことが多くある中で、3月末には、現在の総合福祉会館「みなと荘」を退去しなければならず、その後は自営業をしている千葉さんの事務所を使って自立をサポートしていく「支援する避難所明友館」の役割を続けたいと仰っていましたが、私も可能な限り支援を続けていきたいと思ったところです。
 また、当日は第13回「ちょこっとあそぼう」&「ちょこっと寄席」というイベントを開催していたスタッフ11人の方が参加したミーティングも聴かせて頂きました。
 仮設住宅の方が手伝いに来てくれたりする中で、多くの方が楽しみにしてくれていることが出されていましたが、自宅避難者の方が「困っていることはいっぱいあるけど、何も言いません。みんな一緒だから。でも自立に向けて頑張る。」という声が報告されていたが、こんな被災地の思いを支援していける政治と行政のあり方が問われていると痛感しました。そして、救援物資の調達のあり方に、今の段階でも課題があることや雇用の場所が欲しいことなど様々な意見が出されていました。
 4月以降のイベントを開催する場所の確保も含めて課題はあるようですが、3月1日〜11日の「鎮魂と復興のおひな祭りデー」で、みんなで作った吊し雛が飾られる頃には、復興が一歩進んでいることを願っています。(写真左は、5月1日「鶴瓶の家族に乾杯」で訪れたさだまさしさんが再訪された時のもので、右はイベントの様子。明友館のホームページからの引用です。ちなみにおらんくミュージシャンう〜みさんも2度ほど訪問されているようです。)
 訪問してから2時間ほど経ったときに、 「今から女川町の在宅避難者の方のお風呂場を直しに行くので」とスタッフで京都から来られている大工さんと一緒に千葉さんたちが出かけられようとしましたので、私も明友館を後にしながら、被災者の方々は、こんな支援を受けながら自立に一歩ずつ向かわれていることを感じたことです。
 石巻報告後編はまた明日。

2月7日「雪景色の被災地」

 昨年の3.11から100日目に訪れた石巻市を230日ぶりに訪ねました。
 前回、日程の都合で、行けなかった市内中心街を歩いたり、支援する自主避難所・明友館で話を聴かせて頂いたり、南海地震対策再検討特別委員会で調査したときには、感じられなかったものを感じました。
 今回は、門脇小学校の屋上から眺めた被災地を日和山公園から眺めました。景色は白いだけで、他にあまり変化がなかったことに、厳しい復興の歩みを痛感させられました。
 明日以降、報告させて頂きます。




2月5日「いろいろの支援、復興」

 
 昨日は、私も理事を務めさせて頂いている(社)高知県自治研究センターの主催で開催した3.11東日本大震災から高知は学ぶシンポジウム「震災時震災直後どうだったのか、そこから今まで」に参加してきました。
 私たち高知県民が、3.11の震災そしてそこから復興に向かう東日本の人々や地域から、多くのことを学ぶことがわずかでも犠牲者に報いることにも通じるのではないだろうか。ということで今回は、被災後の産業復興や、コミュニティ、自治体のあり方など、必ず震災に直面する高知県民としての心構えとそのための不断の地域づくりをどのようにすすめたらいいのかを考えることとしました。
 震災当日釜石市内で被災し逃げ延び、更にこれまで数十日に渡り震災後の東北地域の産業復興の現場に足を運び、その実態を見てきた明星大学関満博教授から震災時の状況から、現在までの復興の状況、震災後すぐに気仙沼の自治体支援に入った黒潮町役場友永氏からは被災直後の市役所職員の様子や被災地の状況から何を感じたのか、また、宮城県岩沼市震災復興会議委員渡邉氏からは義父を津波で亡くされ被災された住民の立場から、当時の状況やどのような視点で復興計画策定にとりくまれているかについて報告頂きました。
 復興とまちづくり、復興と産業のあり方など参考となる視点を多く頂きました。
 今日から、宮城県石巻市に向かいます。石巻では「笑う避難所」として本にもなった明友館をたずね、自主避難所のあり方や在宅避難者への支援のあり方などについて調査してきます。時間があれば、仮設商店街などもたずねてみたいと思っています。

2月4日「防災倉庫を11階へ移設」

 昨日やっと、私たちマンション自主防災会の懸案課題でもありました防災倉庫の上階移設を終えました。と、言いますのも自主防災会の資機材を一階集会室に保管していたのですが、数年前から津波浸水に備えて上階に移設しようと場所まで決めていたのですが、なかなか踏み切れずにいました。3.11に後押しされてやっと11階の共有部分に移設したのですが、この間倉庫も改良されてなかなか良くなっており、今後はこれを活用して11階を拠点に訓練などを行いたいと思います。
 さて、先日もラジオ防災特番の「南海地震に備えちょき」のことをお知らせしていましたが、今NHKのホームページから聴くことができるようにアップされていますので、関心のある方、聞き逃した方、こちらからアクセスしてみて下さい。私の出演はパート6「自主防災組織の現場から2」です。それにしても、恥ずかしいやりとりになっており、反省してます。






 話は、全然違いますが、今年の秋10月24日に高知で4年ぶりに開催しますベトナム民族アンサンブルチャリティコンサートの実行委員会の立ち上げを行いました。前回、ご覧になって頂いた方には大変好評を博すことができましたので、今後は、実行委員会の組織拡大を図るとともに、コンサート当日は県民文化ホールが満杯となるよう半年間頑張りたいと思います。随時、情報発信をしていきますのでご協力よろしくお願いします。







2月3日「震災対策技術の進化で防災・減災へ」

 昨夜、東京や茨城県での日程を終えて、疲労困憊で帰ってきました。
 昨日は、パシフィコ横浜で開催中の第16回「震災対策技術展」を見学するとともに、内閣府主催のセミナー「東日本大震災の対応と今後の防災対策について」と社団法人日本建築学会災害委員会主催の「津波と建築」シンポジウムも聴講してきました。セミナー等の合間に技術展を見学したりということでほとんど休憩なしの一日でしたので疲れました。この技術展の見学も3年ぶりですが、今回も190を超える出展者数、1000点以上の出展製品を揃えた国内最大規模の防災専門展示商談会ですが、昨年の3.11を経験しているだけに、大変な賑わいでした。また、その進化した技術が少しでも防災・減災につながればと思ったところです。
 前回も、ここで学んだことから議会質問に盛り込んだ課題もありましたが、今回もそれなりの情報が得られました。
 広い会場の一角に、高知のブースもありましたが、帰りの空港連絡バスで担当職員の方と一緒になってお聞きしたら、他の自治体の方や出展者からの情報提供など、情報交換の場にはなっていたとのことでした。
 他にも、ご報告すべきことはありますが、改めて順次ご報告していきたいと思います。

 
 ところで31日の空港に向かう連絡バスで、高知のタイガースファンの中では有名なおばあちゃんに会いましたので記念にパチリ。阪神二軍のキャンプ出迎えのためだそうですが、こういった方の支えがキャンプ地高知の再興にもつながるのではと思ったところです。

1月31日「津波避難場所、避難路確保の苦労」

 昨日は、南海地震対策再検討特別委員会で、須崎市と四万十市の南海地震対策の現状について、視察調査を行ってきました。
 両市とも、3.11以降さまざまな取り組みの見直しをするなか、とにかく津波避難対策の加速化に力を入れられていますが、須崎市の場合は木材などを中心とした漂流物対策という特性、四万十市は石巻市で甚大な被害をもたらした北上川と似た形状にある四万十川に沿った地域の避難対策などそれぞれに特徴的な取り組みが急がれていました。(写真左は須崎駅南側の津波バリア施設。奥に見える小高い山には、避難場所となる総合公園が計画されています。右は四万十市下田の避難路整備事業です。)
 特に、津波避難場所、避難路確保については住民との意見交換を重ねながらの、より実効性を伴う取り組みに対して県としての支援も求められています。
 そんな中で、須崎市は防災対策の担当課が設置されていますが、四万十市では来年度新設するとのことでしたが、少ない人的体制の中で、市民の声をしっかりと受け止めた南海地震対策を講じていくことの大変さを痛感します。命暮らしを守る自治体サービスの確保のためのマンパワーの拡充が改めて求められています。
 今日は四万十町で調査の予定ですが、私は昨年末から予定されていた会議と東海第2原発の再稼動中止と廃炉を求める運動が全会一致で採択した「東海第2原発の再稼動中止と廃炉を求める意見書提出の請願書」として結実した茨城県土浦市での勉強会や横浜での震災対策技術展のセミナー参加などのため、欠席させて頂くこととなりました。これらの活動も南海地震対策再検討特別委員会のために、必ずや役立てたいと思っています。

1月30日「備え、発災直後、避難所、復旧・復興のステージに視覚障害者支援の視点を」

 
昨年9月23日に続いて開催された「大震災と視覚障害者支援はどうあるべきか」というシンポジウムに参加してきました。
 前回、避難所において視覚障害者がいかに情報へのアクセスに困難を極めていたか、また、避難所生活での食事やトイレの問題など課題が山積していたことが明らかになりました。その上で、今回は福島県いわき市で実際に被災し、避難所生活を過ごした視覚障害者の板野さんからの報告や福島県眼科医会副会長で被災地におけるロービジョン支援に携わってこられた木村肇二郎医師と同クリニックで視覚障害者支援にあたられたソーシャルワーカーの佐藤恵子さんをはじめ、視覚障害者生活訓練指導員、介護保険のケアマネージャーの方からさまざまな提起を頂きました。今回は医療や福祉の面からの新たな課題の発見もあり、その課題解決への取り組みも急がなければならないと痛感させられました。



1月29日「今日は視覚障害者の支援の視点を学ぶ」


 昨日は、午後からソーレまつりの「災害弱者にならない、ならせないために〜大きな安心、小さな工夫〜」ワークショップで、1.17や3.11の教訓から南海地震へ備えるために、そして、自主防災会などのできることからの工夫についてお話しさせていただきました。写真中央は、私の前に報告された愛媛県松前町議の藤岡さんが防災風呂敷の披露をしているところです。
 終了後は、桟橋通にある朝鮮会館での2012日朝新春セミナーに足を運び、中京大学大内裕和教授の「民主党政権の変質とつくる会教科書の伸張」と題した講演を聴かせて頂きました。大内教授からは「政権交代はなぜ起こったのか」「政権交代後の動向」などを分析しながら、ハシズムの台頭、石原新党の動きなどの状況から「民主か独裁か」がテーマとなる政治状況の中で、反貧困を軸として、反独裁、民主主義擁護、憲法改悪反対の幅広い連携を構築する必要性と憲法25条、9条の実現をめざす運動を広げていくことの大切さが強調されました。
 今日も、今から「大震災と視覚障害者支援はどうあるべきか」シンポに出席のため事務所出発です。

1月28日「学んで行動へ」

 厳しい寒さが続きますが、「県政かわら版36号」の配布が始まっています。一昨日も、行く先々での話題は「地震への備え」のことばかりです。昨日は、配布中にお会いした方が、事務所に来てくれてひとしきり南海地震への備えについて意見交換をされていきました。できること、できないことといろいろありますが、諦めを生じさせることなく、一歩ずつ備えていきたいものです。以前にも、ご報告しましたように、今回のかわら版には「県政アンケートはがき」を同封していますので、ハガキだけが必要な方もお申し出頂ければお回ししますのでよろしくお願いします。
 昨夜、NHKの「とさ金8」で、今日の午後4時5分からのラジオ防災特番の「南海地震に備えちょき」のダイジェストが行われていましたが、私はこのラジオ番組にも5時半頃出演予定ですし、午後一時からは、ソーレまつりの「災害弱者にならない、ならせないために〜大きな安心、小さな工夫〜」と題したブースで講師をさせて頂きます。両方とも、地震そのものについてではなく、むしろ備える場合の共助・自主防災会の立ち上げや運営の工夫などが求められています。これまで、地震についての知識を学んだ方はいよいよ行動です。高知大岡村教授は言われます。「その日までにやっていることしかできない」と。
 私は、同時刻開催ですので出席できませんが高知会館2F白鳳の間で本日午後1時半から岡村教授の講演会があります。おかまいない方は、どうぞ足を運んで下さい。

1月27日「脱原発のテント村撤去を求める前にやることがある」

稼働原発はあと3基

 今朝未明、島根原発2号機が停止し、稼働原発は54基中3基となりました。4月末に北海道電力泊原発3号機が定検に入ると稼働する原発はなくなります。
 全機停止を目の前に控えて、枝野経済産業相は昨日、朝日新聞のインタビューに答え、今夏に全国で稼働している原発をゼロと想定し、今春にも対応策を公表する方針を明らかにしたとのことです。
 枝野氏は、記事で「(今夏は)原発がゼロになる可能性はある」との認識を示した上で、「安全と安心をないがしろにして稼働することは許されますか」と話し、再稼働は電力需給より安全確保を優先する考えを強調しています。
 その一方で、経済産業省敷地の片隅で約4ヶ月にわたって脱原発を訴えてきた市民団体のテント村に対して、今月24日になって、枝野経産相が今日午後5時までの退去と撤退を求めており、午後4時〜6時の抗議行動が展開されることとなっています。
 退去と撤退を求める前に、「安全安心をないがしろにしたくないなら」再稼働をやめ、原発をなくすための意思表示を明確にするべきではないでしょうか。




1月26日「闘い続ける」

 05年2月定例会の質問の冒頭で「18年前に旧国鉄を国労に所属しているという理由だけで「組合差別による不当解雇」をされた北海道国労北見闘争団の仲間が東京に向けて1047キロのマラソンキャラバンを高知からスタートさせました。その目指すゴールは東京ではなく「人間の尊厳の回復」です。」と述べて、四国内で国鉄闘争を闘い続ける国鉄闘争共闘会議の中野勇人君の高知出発の姿を見送ってから、7年が経ちました。毎年、いろんな場で顔を合わすことはありましたが、今年は明日から2月16日までの間、政府に対し約束不履行の抗議行動として09年以来3年ぶりに21日間で1047qのマラソン抗議行動に取り組まれようとしている彼に対して、このホームページを通じてエールを送りたいと思います。
 これまで「雇用・年金・解決金は3点セット。雇用がなければ闘いは 終わらない」と言われてきたが、昨年JRに雇用を拒否され、「闘争終結」となり、鉄建公団原告団、闘争団、共闘会議も解散したものの、行動を取り組む中野君に連帯する仲間が全国にいます。
 「人らしく生きる」ことを求め続けるために「国鉄闘争センター四国」の発足の前段として「1047名の不採用問題は終わっていない!政府の約束不履行を許さない、国会前1047qマラソンアピール行動」を中野君とともに成功させるための支援をお願いしたいと思います。(写真は21日間中野君とともに走るゼッケンです。不採用問題だけでなく、原発やTPPなど許せない課題もアピールしています。)
 国会前行動の様子はこちらから報告されています。是非、時々でもアクセスして支援して頂ければと思います。しかし、スタートを明日に控えてトラブルもあったようで、若干前途を案じますが、頑張ってもらいたいと思います。


1月25日「観光特使・豊ノ島、相撲も家族も大事に」

 私も後援会に入っている宿毛市出身の豊ノ島関が昨日県の観光特使に就任されました。
 場所中に24日に県庁で委嘱状をもらうことが予定されていましたので、「せっかく4日目には稀勢の里にも勝ったし、えい成績でもんて来て欲しいね」と関係者の方と話していたのですが、残念ながら結果は5勝10敗でした。
 昨年は、沙帆さんという素敵な女性と結婚し、場所中に第一子のおめでたも分かりといいニュースが続いていたのですが、相撲の方は結果がついて来ませんでした。
 本県にとって302人目の観光特使として、観光客誘客に一役買って頂きたいと思いますが、いい成績を残すことこそが、観光特使名刺が力を発揮することになることだと思います。
 今後とも、高知県観光のためご尽力頂きたいと思います。そして、3月場所、5月場所は立派な成績を収めて7月には新しい家族の誕生を祝えますよう祈念しています。
(写真は昨年の高知での結婚披露宴の席でのスナップです)



1月24日「四国の脱原発エネルギー政策確立へ4県で力あわせて」

 尾崎知事が、昨日の記者会見で原発寿命「なぜ60年」かクリアに説明してもらいたいとか、「伊方の再稼働は、四電や国に安全性の説明を求めている愛媛県の対応を確認した上で、本県として是非を判断する考え」を改めて説明したとのことが報じられています。
 一方で、今夏の電力需給について「全国で約1割の不足に陥る」と公表した昨年夏の政府試算について、「供給不足にはならない」という別の未公表のシナリオが政府内に存在したことが明らかになっています。これまでにも繰り返されていることですが、情報操作によって「原発再稼働の必要性を強調」するような原子力ムラの説明を待ったり、「浜岡と伊方と美浜。ここだけはやめてくれ。地震学者として見ておれん。」と言われるような伊方を愛媛の対応任せにするのではなく、どうやって四国の脱原発エネルギー政策を確立するかに4県で知恵を出し合うことが急がれるのではないでしょうか。そのためのリーダーシップを発揮することが知事には求められているのではないかと考えます。








1月23日「地震学者として『浜岡、伊方、美浜は見ておれん』」

 高知市防災人づくり塾の最終回は防災講演会とも兼ねた形で毎年開かれていますので、03年度に終了した私も、最後の防災講演会にはいつも参加しています。特に、今期は昨年の3.11を受けて受講生規模を大幅に増やしたことから242名の修了生で12年間の修了生は延べ1000人を超したそうです。
 来年度から年2回の開催で2年後には総勢2000人の修了生を目指すとのことですので、その人たちが地域の防災力を培う人材として根をはって頂きたいものです。
 さて、昨日の都司先生の講演内容の概要は、今朝の高知新聞21面「防災人づくり塾から」に載っていますので、そちらをご覧頂きたいと思うのですが、その中で一切触れられてなくて、講演の中で地震学者として強調されていたのは、地震と原発についてです。「浜岡と伊方と美浜。ここだけはやめてくれ。地震学者として見ておれん。」と言われてました。原発エネルギーの必要性云々ではなくて、地震学者として看過できないと言うことです。
 実は、以前から高知大の岡村先生も中央構造線との関係から伊方原発の危険性を指摘されていた(私が初めて先生の指摘を聴いたのは05年7月のことでした)のですが、一昨日、岡村先生がいの町の防災講演会で「想定されるマグニチュード9が伊方原発を襲ったら、2秒後に激震が来るので、制御棒が間に合わない」と仰っていたそうです。(グリーン市民ネットワークのメールからの引用です)
 何としても、伊方の再稼働は阻止し、廃炉を目指すしかありません。

1月22日「地域防災・減災力を培うために」

 昨日の「高知地震新聞」は、南海地震に備えようとする県民の貴重な資料となることは間違いありません。たまたま、夕べその新聞に体験談が出ていた当時桜井町に住んでいた沢田さんとお話しする機会もありましたが、「河川堤防が切れることだけはなんとか食い止めてもらわないと逃げる間がない」とのお話しも頂きました。
 そして、今朝の新聞では、東北大の今村先生が、昨日潮江や下知地区を歩いて、「堤防が決壊すれば、四方八方から津波が襲ってくる可能性があるから、避難ビル指定の必要性」が強調されていました。
 そんな中で、高知市の津波避難ビルの指定は1月12日現在で64施設57000人分となっているが、下知地区の空白状況が目立ちます。以前に報告もしましたが、この地区には4階建て以上の民間ビルが分譲マンションも含めて180棟ほど(昭和校区市民防災プロジェクト調べ)あるだけに、これを活用した取り組みを急ぐしかないと思います。
 私たちのマンション自主防災会でも、たびたび津波避難ビルについての話し合いを行っていますが、そろそろ課題整理をしながら、具体化につながればと思っているところです。
 今日は、午後一時から総合あんしんセンターで東大都司先生の「東日本震災の津波で気づいた多数の教訓」と題した防災講演会に出席し、来週28日にはソーレまつり2012でワークショップ「災害弱者にならない、ならせないために〜大きな安心 小さな工夫〜」で講師をつとめ、同日夕方放送のNHKラジオ「南海地震に備えちょき」に電話出演と地震への備えの取り組みが続きます。(写真をクリックすると拡大してご覧になれます)



1月21日「高知の『地域環境力』を培って」

 「低炭素化コミュニティづくりのための高知フォーラム」に参加してきました。
 会場の男女共同参画センター・ソーレでは第4回 えこらぼの文化祭 ソーレ!こどもワンダーランド も開催されており、子ども連れの皆さんで賑わってはいましたが、フォーラムの入りはいま一で、残念でした。
 「スマートシティ、環境モデル都市構想開発の動向と課題〜地域環境力が主導する未来へ」と題して法政大学地域研究センター特任教授の白井信雄氏の基調講演、パネルディスカッションでは、白井信雄氏に加えて、くらしを見つめる会代表内田洋子氏、四国自然史科学研究センターセンター長谷地森秀二氏、物部川21世紀の森と水の会事務局長兼松方彦氏が、基調講演の中でのキーワードとなった「地域環境力」について語り合いました。
 「地域環境力」は、環境保全・活用に参加しようとする地域住民や事業者、地域行政等の主体性と関係性の力と位置づけられるが、講演の中でもたびたび紹介された飯田市などの先進事例を単に真似るのではなく、高知という地域の持つさまざまな資源を活用しながら、「地域環境力」を培っていける可能性はあるのではないかと言うことが、それぞれから語られました。



1月20日「南海地震対策について皆さんのお声をお聞きします」

 16日に南海地震対策再検討特別委員会が開催され、高知工科大学甲斐芳郎教授から「南海地震津波に対する高知工科大学の取り組み」と題した報告、高知市消防局本山和平消防司令からは「東日本大震災の状況と緊急消防援助隊高知県隊の活動」の報告、そして、高知赤十字病院西山謹後吾医師からは「東日本大震災から考えた医療機関の南海地震対応」について報告を受け、それぞれとの意見交換をさせて頂きました。東日本大震災を踏まえたとき、南海地震で対応するためのそれぞれの課題が浮き彫りになったように思えますし、それらを具体化していくための特別委員会の果たす役割が明らかになったようにも思います。
 2月定例会において、南海地震対策に関する質問が多くならざるを得ないと思っていますが、県民のみなさんの南海地震に対する優先課題についてお聞きするため、現在発送の準備中である「県政かわら版第36号」には久々に「県政アンケートはがき」を同封させて頂くための準備中です。
 お手元に届いたときには、是非、ご協力頂きたいと思いますし、近くの方にも聴いてみたいからとご活用頂ける方があれば、ご連絡下さればお届けしますのでよろしくお願いします。
 集計した結果については、改めてこのホームページや次号の「県政かわら版」でもご報告させて頂きますが、2月16日(木)午後6時半から共済会館で開催します第43回県政意見交換会で、意見交換の上、議会質問に反映させて頂く予定です。是非多くの皆さんのご参加をお願いします。

1月19日「存在そのものをまるごと肯定」

 先日、呼びかけさせて頂いた15日の「ひきこもり講演会」は、準備した資料250部が全てなくなるという関心の高まりでした。
 昨年9月に開催された第一回公開講座の3倍近い参加者に、広報に協力させて頂いたものとして少なからず驚いたことでした。中でも今回は、学校の先生や大学生、若者の多いところが前回との違いだったように思います。
 講師の立命館大学高垣忠一郎教授は高知県の出身で、「若者の生きづらさと自己肯定感」と題して、お話し頂きました。
 高度経済成長とともに、その成長を支えるための経済優先の人材づくりへと教育が、走り続けることが当たり前のような若者を育てたのではないか。そして、おとなは子どもとの向き合い方の中で、心を聴いてあげないままに、置き去りにしてきたのではという「生きづらさ」を生じさせてきた背景があるなかで、どう向き合うのか。人にとって辛いのは無視されること。存在を無視されることほど辛いことはない。学校へ行けないということは、その子の一部分であって、部分的なことを見て、「まるごと否定している」。そうすると「自分が自分であってはいけない」という気になってしまう。世間の「普通」から離れている子どもや若者が、「こんな自分でいいじゃないか」と思えたら元気にもなれるが、そう思えないことで、自己を否定している。「部分」でもって丸ごと否定されることが多いが、存在そのものをまるごと肯定する。子どもや若者が丸ごと愛されている、肯定されていると言うことを実感できれば、自己肯定感が育つのではないか。ということなど、熱っぽく語られていたが、子どもや若者が、「まるごと、しっかり受け止めてくれているという安心感」を感じられる大人の向き合い方、社会のしくみが自己肯定感を育てていくことになるのではと思いました。多岐にわたる深い話でもあり、詳細報告はできませんので、こちらの資料をご覧下さい。
 フロアーからは、「話が聞けて良かった。教師を目指しているが、やっぱり教師になろうと強く感じた」という大学生の声、不登校、ひきこもりを経験して、仕事を探して充電期間を過ごしている若者が「話を聞けて良かった。ありがとうございました。」との感想を述べられたりしていましたが、終わってからも多くの方が先生と意見交換がしたかったと言われていたのがとても印象的でした。先生が言う「しんどいことや辛いことを『話す』というのは、しんどい辛いことを『離す、手放す、離れる』ということにつながる」ということの現れだと感じたところです。

1月18日「米軍超低空飛行訓練の即刻中止を求めて」

 県内の皆さんはご存知のことと思いますが、1989年以来、嶺北地域を中心に、米軍機による低空飛行訓練が繰り返されており、94年に早明浦ダムで、99年には土佐湾沖で米軍機墜落事故もあり、この訓練は県民の不安を拡大し続けてきました。
 そのことに対して、県はこれまでにも墜落事故の際や夜間飛行訓練の実施、訓練回数が増加したときなどに、米軍当局に対して低空飛行訓練の中止要請を行ってきています。
 しかし、昨年12月に入ってから、連日の低空(超低空)飛行が行われていることに対して、「地域住民が安心して生活できないこと」「防災・救急救命活動を行う県消防防災ヘリ、ドクターヘリの安全航行が脅かされること」から、昨年12月に嶺北地域4町村長連名による中国四国防衛局長あての中止要請書が提出されたことなどを踏まえ、明日、知事名による中止要請を行うことが、県危機管理・防災課から説明がありました。
 これまで、過去3年間の月間最高飛行回数は09年1月の26回31機であったものが、昨年12月6日〜21日、1月4日〜12日の間の計25日間で40回48機(本山町、香美市からの報告によるもの)と、その回数は一気に増加しています。
 しかも、中には嶺北中央病院を舞台に防災ヘリが訓練中であった時にも超低空飛行が行われたこともあったそうです。今後は、南海地震対策の訓練からもヘリポートを活用した訓練が増加する中で、安全確保の面から超低空飛行訓練は即刻中止を求めていくこととされています。
 高知においてさえ、日常的に、これだけの危険と不安を強いているのですから、その比ではない沖縄の皆さんのことを考えたら、米軍基地の駐留をおしつけ続けることはできないことを改めて確認しあいたいものです。

1月17日「3.11の被災者・被災地とともに迎える17回目の1.17」

 17回目の1.17を例年のようにテレビの前で神戸の皆さんとともに、午前5時46分の黙祷で迎えました。
 しかし、今年の1.17は、3.11というはるかに多くの新たな震災犠牲者とともに迎えることとなりました。1.17と3.11の被災者、被災地が結びつきながら、そして、我々が結びつきながらの本当の意味での復興へと歩んでいく決意をする1.17ではないかとも思います。
 6434人が犠牲となった阪神淡路大震災の外見上の傷痕は癒えてきてはいるものの、復興公営住宅の独居高齢者の増加や孤独死、20年を区切りの住み替え問題、「震災障害者」の実態把握という課題、そして、被災自治体が中小企業を対象に実施した「緊急災害復旧資金融資」は、経営破綻などで1割の529億円分が返済不可能となっているなど神戸経済の低迷という課題を10年後、20年後の被災地で繰り返すことのないようにすることも今年の1.17は考えさせられます。
 昨日の南海地震対策再検討特別委員会での工科大甲斐教授の話で、1.17と3.11における男女別年齢別死者数において高齢の女性の多さを指摘して、高齢の女性を救えることができれば男性も若者も救えるということが言われました。まさに、ここに、これまでにもずっと指摘してきた「震災被害は社会の脆弱さを浮き彫りにする」ということが表れています。阪神淡路大震災で「震災で死に、仮設住宅で死に、復興住宅で死ぬ」と言われた、震災での三度の死は、多くの高齢女性のことだったのです。
 関東大震災における火災による死、阪神淡路大震災における家屋倒壊による死、東日本大震災における津波による死、そのいずれにも「災害弱者」の姿が見えます。今、改めて「災害弱者」を出さない社会のしくみが、南海地震における被災者を少なくすることにつながるということを念頭に置いた防災・減災対策が急がれます。
 1.17を忘れず、向き合うために、私なりにしてきた1.17の過ごし方である非常食で過ごす今日一日のメニューは写真の通りです。


1月16日「ルールを守って安全に」

 今朝で、校区の年末年始の交通安全運動が終了。延べ14日間の街頭指導でしたが、今夜は夜間の街頭指導です。その最終日に、目の前で急いでいた中学生が停車していた対向車をよけようとして転倒。大変危険な状態でした。自転車が右側走行していたのが、原因ですが、その時に、注意もしたのですが、結局彼はまた右側を走っていきました。あれほどの痛い思いをしても懲りないのかなと残念でなりません。自転車が車道の左側走行を心がけるだけでも事故は随分と減少するのではと思います。
 今から、すぐ議会に向かわなければなりませんので、昨日の「ひきこもり講演会」の様子は、また、後日に報告します。

1月15日「『若者の生きづらさと自己肯定感』について考えてみませんか」

 今日は午後1時半からソーレでひきこもり親の会の主催で第2回公開講座が開催されますので、参加してきます。
 「自己否定の思いにとらわれる子ども・青年のこころ」「自分とともに、他人とともに生きられないのはなにゆえか」「自己否定の思いから子ども・青年のこころを解放するために」などを考えながら、「若者の生きづらさと自己肯定感」についての話がされることになっています。
 時々このコーナーに登場して頂いているコニヤンは、まさに教育現場で「肯定脳」づくり、耕しに取り組んでおられるわけですが、その実践本でもある「ボチボチ力のすすめ」が年をあけて、富士書房の売り上げランキングで復活していて、今朝の高知新聞には7位にランクされています。今日の講演会の高垣先生のお話しと共通するところがあるのかどうかなども関心のあるところです。
 関心のある方のご来場をお待ちしています。

1月14日「伊方全基停止の朝に」

 いよいよ四国電力は、伊方原発で唯一稼働していた2号機の運転を定期検査のため、停止しました。これまでにも1、3号機も運転停止が続いており、3号機が運転を始めた1994年12月以降、全3基が初めて同時停止となり、1号機運転からでは35年目にして四国での原子力発電は全て止まったことになります。
 今まで、「四国の4割を占める」とされ原発への依存度が強調されてきた四国で原発の電気が消えてなお、今朝、当たり前の暮らしが続いていることを四国の397万人はどう受け止めているのでしょうか。
 これからは、「冬は、何とかなるが、夏は節電を」とキャンペーンがはられるでしょうが、「節電」結構じゃないですか。安心と安全が少しでも身近なものになるのなら。と考えています。
 東電の場合、猛暑だった10年夏のピーク需要は6000万キロワットだったが、電力使用制限令が発動された11年夏は4922万キロワットにまで低下しており、昨年のピーク需要で試算すると、予備率がマイナスになるのは北電と関電の2社だけとも見込まれています。それでも、再稼働を許さない決意で乗り越えるのかどうかが問われているのではないでしょうか。
 これで原発54基のうち稼働しているのは、北電の泊3号、東電の柏崎刈羽5、6号(新潟県)、関電の高浜3号(福井県)、中電の島根2号(島根県)の5基になってしまいました。




1月13日「教科書無償運動から半世紀」


 憲法26条の「義務教育は無償」の実現へ大きな推進力となった高知市長浜の教科書無償運動の50周年を記念した資料展が11日から、発祥の地である長浜小学校(アクセスはこちらから)で始まったとの新聞記事を見て、昨日早速たずねてみました。
 昨年の2月定例会での代表質問で、私は「土佐勤王党結成から150年、大逆事件から100年、教科書無償化闘争から50年という節目の年に改めて土佐人の進取の気性や反差別・人権尊重の風土の息吹を感じているところです。」と述べて質問に入ったこともあり、何らかの節目の取り組みがされればと思っていましたので、いい機会でした。
 見学させて頂いて、改めて6年生の人権総合学習活動案にある「なぜ、教科書無償は実現できたのか」に対して「教科書無償の実現」をという「親の強い思い」から憲法26条の自らの権利に「気づき」、「行動・団結」して、憲法26条の具体化を願う思いの「広がり」によって実現していく過程を学ばせて頂きました。
 今、「子どもの貧困」や「貧困の連鎖」ということが顕在化する社会にあって、もう一度権利としての教科書無償について、学び直すことが求められていると感じているところです。この資料展は20日まで(土、日曜を除く午前9時から午後4時半)開催されているとのことですので、是非、多くの若い方にご覧になって頂きたいと思います。

1月12日「自殺者数14年連続の3万人超」

 昨年1年間の自殺者数(速報値)は、前年比3.7%減の30,513人と、14年連続で3万人を超えたことが警察庁のまとめで分かったことが報道されています。
東京と滋賀を除く、東北、関東・甲信越、関西、中国各地方の全府県で減少したが、愛知、愛媛、福岡、宮崎、沖縄など12都県で増加しています。本県は、前年と同様の224人となっています。この間、増減を繰り返す傾向がありましたが、昨年は一昨年若干減少した傾向が続いています。
 昨年の内閣府の調査では、東日本大震災の影響を理由に自殺したとみられる人が6月中に16人いたことが公表されていますが、年間通じてどうだったのか、また、東日本大震災での被災地岩手、宮城、福島の3県ではいずれも減少していることとの関係などについても分析が必要かと思います。
 NPO法人「ライフリンク」の清水康之代表は「自殺者が減ったとはいえ、高止まりの状態が続いていることは問題で、社会全体で危機感を共有すべきだ。積極的に相談会などを行っている自治体では自殺者が減っているという事実があり、今後は、自治体と民間団体が連携して、相談会をはじめとする対策を強化していく必要がある」とコメントしています。昨年、命を一番に大切にする社会、自殺に決して至らせない社会、自殺のない社会づくりを着実に推進するため、市区町村の自治体等で構成する「いのちささえる真心あふれる社会づくり市区町村連絡協議会‐自殺のない社会を目指して‐」を設立されています。
 参加123自治体のうち本県では、宿毛市が参加し、住民一人ひとりが自殺予防のための「気づき」「つなぎ」ができること、職員一人ひとりが自殺対策について意識を高め、支え合える関係づくりを築いていくことを目的として自殺予防対策に取り組んでおられます。
 こんな取り組みの積み重ねが、自殺予防につながる一つになればと思います。

1月11日「現場の内側に迫る学びを」

 3.11から10ヶ月。「2012年 復興・減災フォーラム『東日本大震災からの復興 〜フクシマ再生・よみがえれ東北』」の報告です。
 フォーラムの基調講演「福島原発の歴史と3.11以降の状況」の中で東京大学大学院生の開沼博さんが語られた「『忘却』の反復が79年スリーマイル島原発事故、86年チェルノブイリ原発事故、99年東海村JCO臨界事故、そして、2011年福島第一原発とほぼ10年ごとに過酷事故を起こしてきた。そして、沖縄も忘却が繰り返されている。」ということは肝に銘じなければと思ったところです。
 我々は、歴史上の大惨事や事件に遭遇したとき「このことを教訓にして、二度と再び起こしてはならない」と口にするが、原発に限っても、その教訓は10年も経たないうちに「忘却」の彼方へと追いやられ、取り返しのつかないことの積み重ねは極限に達した。そして、今回は100年、1000年の「忘却の反復」さえも、人の力で克服することが問いかけられているように感じました。
 パネルディスカッションでの、それぞれのパネラーの特徴的なコメントを報告しておきます。
 川名紀美(ジャーナリスト、元朝日新聞社論説副主幹)さん「1.17で被災し、その後の取材を通じて、近隣者との関係が密なほど助かる確率が高いことが分かった。地域での人間関係を良くしていくことの必要性を感じ、具体化を図っている。復興を考えるとき、女性・若者の参画が必要。手間がかかっても、住民が自分のものとして決める。この声を聴くことなしに、再生はありえない。」
 河野昌弘(西宮市長)さん「3.11直後から、カウンターパート方式による対口支援を継続してきた。あらかじめ支援内容を決めておいて、日常の維持継続を図る。被災者49世帯117人を受け入れているが、ホームページ上はもちろんだが、11月までは毎週1回以降は月2回の情報を手元に届けてきた。西宮方式の被災者支援システムを導入する自治体も3.11以後730団体と3倍になった。」
 馬場有(福島県浪江町長)さん「とにかく、原子力ムラの隠蔽とも言うべき情報の小出し、後出しによって、町民は危険にさらされ続けた。風評被害は、復興への長い壁となるし、最優先すべきは除染である。完全にできるまでは、健康管理の徹底が必要。情報は被災者のためのものであるはず。」それにしても、一時避難後、遺体捜索に入った時には、遺体が腐乱していたということの報告の際の表情には、悔しさが滲んでいました。
 山川充夫(福島大学教授)さん「 私の考える復興の7原則@被災者、避難者に復興の財政的負担をさせない。A地域のアイデンティティ尊重の復興とする。B歩いて暮らせるまちづくりC安全と安心が切り離されないことD共同・協同・協働のベースとなるコミュニティーの共同を。E産業のクリーン化F脱原子力・化石エネルギー。今後の課題として、故郷に戻る権利、移動する権利を制度としてどう守るかが問われる。」

1月10日「1.17を前に3.11から学ぶ」

 今朝方、西宮市で昨日開催された関西学院大学災害復興制度研究所「2012年 復興・減災フォーラム『東日本大震災からの復興 〜フクシマ再生・よみがえれ東北』」から帰ってきました。やはり夜行バスでの旅は疲れます。年齢を感じざるをえません。
 初日の被災地交流集会には参加できませんでしたが、昨日のフォーラムでは、宮台真司首都大学東京教授の特別講演「震災後の未来戦略」、東京大学大学院生の開沼博さんの基調講演「」福島原発の歴史と3.11以降の状況、そして、川名紀美氏(ジャーナリスト、元朝日新聞社論説副主幹)、河野昌弘氏(西宮市長)、馬場有氏(福島県浪江町長)、山川充夫氏(福島大学教授)をパネリストに迎えたパネルディスカッション「震災復興2012 フクシマ再生・よみがえれ東北」と4時間半の密度の濃いお話しに学ばせて頂くことの多いフォーラムでした。
 感想は、改めてご報告します。とにかく、今は疲れていますが、夜まで頑張ります。






1月9日「復興元年の今こそ『震災失業』解消最優先に」

 昨日、ビデオに録画しておいた7日夜放送のNHKスペシャル「震災失業 12万人の危機」を観ました。
避難民33万人、そのうち仕事を失った人は、およそ12万人に及ぶと言われている中、被災地で最大の仮設住宅と言われる石巻市の「開成団地」約1100世帯に実施した聞き取り調査から見えてきた「失業」の実態が描かれていました。
 失業が孤立感さえを生じさせ、仕事もなく支え合う家庭もなくした者にとっては、周囲の「生かされたのだから前に向かって」と言われても辛すぎる。そして、アルコールへの依存が高まる被災者への心のケアが欠かせない。この春に向けて失業給付が切れることをきっかけに、被災者が仕事を探して「漂流」し始めるのではないかと危惧する。
 失業給付のない自営業者は二重ローンを抱える決意ができなければ、営業再開できない今の支援制度に「使える制度を」と涙を流す。経済評論家の内橋克人さんは、番組の中で「生きていくためにふさわしい仕事をつくり出す。それは量的な考え方だけでは救えない。」と「生き甲斐、働き甲斐」を訴える。
 いずれにしても、「意欲が失われないうちに仕事を」というキャスターの鎌田靖さんの言葉をしっかりと受け止め、震災失業者の解消を図ることを急がなければなりません。
 今日は、今から6時半の神戸行きの高速バスで関学災害復興制度研究所「復興・減災フォーラム」に出席してきます。3.11の前に忘れてはならない1.17が近づいています。私にとってほぼ毎年の学びの場です。帰りは夜行バスで、明朝5時過ぎに高知へ到着し、年明けの交通安全街頭指導に立ちます。

1月8日「今年で2回目、小学生バドミントン高知韓国交流戦」

 私が会長をさせて頂いている高知県小学生バドミントン連盟では、2010年度から高知県小学生バドミントン国際交流実行委員会を立ち上げ、夏休みには高知から、冬休みには韓国からと、交流遠征を始めています。
 昨日は、韓国ソウィ小学校からの生徒さん6名と監督、コーチ、保護者の代表を高知にお迎えして、交流試合を行いました。中には、昨年に引き続いて来高して下さった生徒さんもいましたし、昨年にはプレー開始の際に、サーブ権を決めるジャンケンにもとまどう場面が多くありましたが、昨日は割とスムーズに行われており、こんなところにも文化や生活習慣の交流の成果が出ているのかなと感じたところです。(写真左は、日韓の子どもたちがペアで練習しているもので、右側は監督の指導を受けるソウィ小学校の選手たち)
 この事業で、今年は県国際交流協会の助成金を頂けましたが、お互い、交通費は自己負担で、その他の費用は受け入れ側の負担で行っており、財政的には厳しいものがあります。今後も継続していく上での、財政的支援の仕組み作りとかがあれば教えて頂きたいと思います。




1月7日「ラジオ防災特番『南海地震に備えちょき』に電話で出演」

 一昨晩は今月28日午後4時05分から5時55分までの間NHK高知放送局で放送予定のラジオ防災特番「南海地震に備えちょき」の電話出演で録音取りがされました。内容は都市部の集合住宅での自主防災づくりについて聞かれたものですが、スタジオにはおなじみの岡村教授などがいて、アナウンサーさんとやりとりするものでしたが、相手の表情が見えない中でのやりとりの難しさをつくづく感じました。マンション自主防災の立ち上げの苦労や立ち上げてからの活動の工夫や今後の課題などについて10分ぐらいのやりとりでしたが、少し首を傾げるやりとりになってしまったようで反省しています。
 私自身もその日は、放送の直前まではソーレまつりで「災害弱者にならない、ならせないために〜大きな安心、小さな工夫〜」と題したブースで講師をしていて、終わり次第、別会場で「2012日朝新春セミナー」へ出席するため、放送は聴けません。
 しかし、一安心、NHKさんでは聞き逃した方のために、インターネット上に録音をアップして下さるそうです。逆にインターネット環境が整っていない方は、是非ラジオを。

1月6日「『原発全基停止』へもう一歩」

 現在稼働中の原発は54基中6基となっていますが、これから定期検査で順次止まり、最後の北海道電力泊原発3号機が4月下旬に停止する予定です。そして、検査中の原発は再稼働にはめどが立っておらず、4月中には全原発の停止が濃厚となることが共同通信のまとめで分かったようです。
 日本原子力発電の東海原発が1966年に初の営業運転を始めて以来、草創期を除くと、電力各社が競って原発事業を推進した80年代以降全原発停止は初めての事態となるようです。
 しかし、原発推進派はどのような策を講じてくるか分かりませんので、気を引き締めて脱原発の取り組みを推し進めていこうではありませんか。ちなみに、四国では1月中旬の伊方原発2号機が定期検査入りして、全国で5社目の管内全停止となります。
 ところで、グリーン市民ネットワーク高知のみなさんが12月28日に震災瓦礫の受け入れの県の姿勢について申し入れをしていましたが、同日付で県はホームページに次のような考え方を表明しています。知事の議会答弁が「決して積極姿勢に転じたものではない」ということを言いたいのでしょうが、こういうことこそ自分の言葉でしゃべる県民との「対話」が必要なのではないでしょうか。

東日本大震災で発生した災害廃棄物の広域処理に対する考え方
 東日本大震災で発生した災害廃棄物について、本県が受け入れ表明を行ったかのような情報が一部で広がっており、多くの方々にご心配をおかけしております。本県の考え方は次のとおりです。
 本県においては、南海地震や東海・東南海・南海連動型地震、津波による被害が想定されており、その災害廃棄物を他県で受け入れていただくなどの広域処理に頼らなければならない事態も想定されます。そのため、災害廃棄物の広域処理に対しては、お互い助け合いの気持ちを持ち対応していくことが基本であると考えています。
 しかしながら、現在のところ、県内で災害廃棄物を受け入れる状況にありません。
 まずは、国の責任において、災害廃棄物の放射能汚染に対する安全性が確実に保証できる基準や処理手順を示したうえで、国民に対してその妥当性についての説明責任を果たしてもらう必要があると考えています。
 また、市町村等においては、安全性の確認や地元住民のご理解がないまま、要請に応じて処理を行うことはありませんし、県内の市町村等に対し、災害廃棄物の受け入れの要請はありません。
 本県としましては、国の対応や全国的な災害廃棄物の処理状況を注視するとともに、市町村等と連携を取りながら慎重に協議していきたいと考えています。

1月5日「『想像力』も『想定外』を生き抜く力」

 今年、最初に読んだ本は、これまでにもこのホームページでも紹介したことのある高嶋哲夫さんの新作「震災キャラバン」でした。
 3.11の直後、子どもの時に阪神淡路大震災で被災したミュージシャン志望の若者が、若者の父親の店でアルバイトしている気仙沼の近隣町出身の女性の家族の安否確認のため支援物資を積み込んで1020キロ先を目指す。同乗している4人との人間模様、被災地での直後の様子、避難場所でのあらゆる人間の営み、「生きる」ことへの希望、場面場面では支援物資のあり方やボランティアのあり方などを考えさせてくれる復興への願いを込めて描かれたロードノベルで、一気に今朝方読み終えました。機会があれば、是非ご一読を。
 高嶋さんの作品は、「TSUNAMI津波」「東京大洪水」「風をつかまえて」に続いてこれで4冊目になりました。映画は、先日ビデオに撮っていた「ミッドナイトイーグル」を観たところです。中でも、「TSUNAMI」は2005年に出版されたものですが、東海、東南海、南海という三連動地震が発生し、時間差で発生した津波は共振しあい、前代未聞の巨大津波となって日本の太平洋沿岸全域を飲み込むというもので、原発事故も描かれてはいます。この本を読んだときは、これでも凄い想像力を駆使した作品だとは思ったのですが、現実の3.11はその想像力をはるかに超えていたと言うことになります。それでも、「想像力」を働かせることも「想定外」を生き抜くための力の一つではないかと思うところです。

1月4日「仕事始め」

 今日が仕事始めという方も多いことだと思います。気持ちも新たに、事故などには気をつけて頑張って下さい。
 私はと言えば、年末年始は、中土佐の実家に元旦に家族で出かけた以外は、ほぼ事務所での作業に追われた毎日でした。それでも、今朝は改めて気持ちも引き締まり、2月定例会に向けた準備も始めなければとの思いです。
 年末年始には、事務所の事務整理、依頼された原稿書きや講演の準備に追われ、12月定例会の県政報告「県政かわら版」の原稿作成に着手できていません。しかし、先日「県政かわら版」を送付させて頂いている方から、「家族で楽しみにしています。県政にはいろいろな課題があることが分かり、勉強になります。最初から全部綴じて保存しています。」などと声をかけられると、不十分な議会報告であっても、随分と励みになります。1月中には、配布できるように、頑張って作成に取りかかりたいと思います。
 昨年一年間の自転車走行距離は2751qでしたが、今年も自転車で東奔西走頑張ります。

1月3日「最後はお金でしょ」

 朝日新聞元日付の一面トップは、「原子力安全委側に8500万円」の見出し。福島第一原発の事故時、中立的な立場で国や電力事業者を指導する権限を持つ内閣府原子力安全委員会の安全委員と非常勤の審査委員だった89人のうち、班目春樹委員長を含む3割近くの24人が2010年度までの5年間に、原子力関連の企業・業界団体から計約8500万円の寄付を受けていたというものです。
 審査会には数十人の委員がおり、寄付を受け取った場合は、その企業の申請に関する審査には加わらない仕組みになっているというが、うち11人は原発メーカーや、審査対象となる電力会社・核燃料製造会社からも受け取っていたとのことです。これで、影響を否定されてもという感じがします。
 班目春樹委員長が事故後にマスコミに登場しての発言に、憤慨された方も多いかと思われますが、2005年当時のこのインタビュー動画を見たらその憤りは沸騰します。
「原子力に対して安心なんてできるわけがないでしょ。あんな不気味なもの。」「最後の処分地は、結局最後はお金でしょ。」こんな発想の人が、内閣府原子力安全委員会の委員長なんです。
 原子力ムラの「絆」なんて「結局最後はお金でしょ」と言いたくなります。

1月2日「辰年」

 今年の干支は辰年で、十二支のうち唯一架空の動物である龍です。しかし、中国では龍が存在すると言うことが信じられていたらしいです。いずれにしても龍には、闘いのイメージがあり、英雄、豪傑の象徴的なイメージが浮かんできませんか。
 私の頭にすぐ浮かんでくるのが「燃えよドラゴン」のブルース・リー(李小龍)です。数少ない主演映画を大学生時代にほとんど観たもので、ヌンチャクを手作りでこしらえて、そのパフォーマンスの練習を繰り返したものでしたし、今ではすっかり頭から消えましたが、「Feel!Don’t think!」などと台詞を覚えたものでした。そして、この映画からカンフー映画が一時は日本映画界を席巻しましたし、ブルース・リーがいなければ、ジャッキーチェンもいなかったということは容易に推測できます。
 さらに、プロレス界では「ドラゴン藤波」こと「藤波辰爾(本名は辰巳)」です。その得意技のネーミングにはドラゴン・スープレックス、ドラゴン・スクリュー、ドラゴン・スリーパー、ドラゴン・ロケットなどとドラゴンがついていました。日本プロレス界のジュニア・ヘビー級の人気を定着させた偉大なレスラーと言えます。
 そして、言わずと知れた坂本龍馬です。
 この3人を見ていると、いかにも「龍」のイメージを体現しているように思えますが、諺に「竜馬の躓き」「竜を描きて狗に類す」というものもあるようですので、着実に一歩ずつ歩むことこそが求められる年ではないかと思ったりもします。





1月1日「3.11以降、国のあり方を国民の手に取り戻すために」

 昨日、五台山展望台へあがって、高知市の全景を眺めてきました。改めてこのふるさとの県民の穏やかな営みを守り続けられたらと思ったところです。
 多くの観光客の方も訪れていて、金沢から車を運転して初めて高知に来られた若い女性の二人連れの方からカメラのシャッターを押して欲しいと言われて、言葉も交わしました。彼女たちは、この高知で南海地震が東日本大震災ほどの被害をもたらすことが予測されていることは知らないようでしたが、津波浸水によるこの街が水浸しになる可能性について話すと「こんなに穏やかな光景なのに」という言葉がやけに耳に残りました。
 今日も、M7の地震が北関東から東北地方を中心に発生してますが、2011年は、東日本大震災と人災・福島原発事故で、多くの尊い命と家族と暮らしと地域が奪われたという惨事の前に、無力さを感じざるをえない一年となりました。
 今、3.11以降、この国のあり方が問われ、この国のあり方を変えていくために私たちが果たすべき役割が問われています。経済成長、効率主義を優先した社会は、人間の暮らし中心どころでなく、命までも軽んじるような社会になってしまったこと。そして、そのことを痛感してもなお、政治・経済の転換が図られないという民の気持ちと国の気持ちが離れすぎているということ。また、原子力ムラの構造は、沖縄の米軍基地問題と通ずる差別構造であったこと。こんな社会システムを温存するようなこの国のあり方を、根底から変えていくための運動と政治を担っていくのが、新しい年の自らの使命だと改めて思っているところです。
 本年も、引き続き変わらぬご指導とご提言を賜りますよう、心からお願い申し上げます。